分断支配って何のことでしょう。
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2005/09/23 09:48 投稿番号: [11254 / 18519]
>しかし、その犠牲や被害を強いた日本の負の歴史に頬かむりをして、彼らを褒め称える日本人にも、私は同時に辟易します。
彼らの発言を引用して日本の植民地政策を肯定することに私は個人的には拒否感を持っています。それは二重に彼らを傷つけることになりうるからです。解放後にあたらめて日本を肯定する発言があった場合はありがたく傾聴しますが。
>私の言葉を「揶揄」と受け止めて、「信用できない」とおっしゃるあなたは、彼らを「裏切り者」にさせた日本の指導者達をどう処断なさるのでしょうか?
もう処断されたと思っています。謝罪や賠償も法的には済んだと思っています。これ以上は処断のしようがありません。あとはその歴史をどう受け止めていくか、あるいはこれからどう歴史を創造していくかということになるでしょう。
それにあたっては戦後60年の現在、できるだけ正確かつ公平な歴史観、自虐でも過剰評価でもない、自国の誇り・愛着を持つと同時に近隣との相互理解を深められるような歴史認識が望まれることでしょう。
おそらく日本も韓国も歴史についてできるだけの正確さと公平さを期する態度をとり続けていけば、次第に、相互理解の交差に近づいていく可能性はあるものと思います。日韓ともにこれからの課題です。
ただ、植民地時代において日本のために働くことを選択し、あるいは選択させられて傷ついた朝鮮人を、日本人である私は戦後何年であろうと、揶揄する気持ちにはなれません。
>傀儡を作り、彼らを裏切り者に仕立て上げた自国の負の部分を棚に上げる「自由主義史観」を、加害国民である私は肯定できません。
私は必ずしも自由史観支持者ではありませんが、お言葉にあった教科書に限って申し上げますと、一定の検定を経ているものであれば、私は拒否すべきではないという立場です。左翼教科書も同様です。
あとは国民がどう判断して受け入れるかにまかせればいい。歴史をどう受け止めていくか、これからの歴史をどのように作っていくかにあたって、自由史観も一つの見方ではあり、参考とすべき選択肢からはずす必要は全くないと思います。
一長一短です。広い意見の中から、私たちはある程度は公平な歴史認識を育んでいけるだけの民度はあると、私は考えています。
彼らの発言を引用して日本の植民地政策を肯定することに私は個人的には拒否感を持っています。それは二重に彼らを傷つけることになりうるからです。解放後にあたらめて日本を肯定する発言があった場合はありがたく傾聴しますが。
>私の言葉を「揶揄」と受け止めて、「信用できない」とおっしゃるあなたは、彼らを「裏切り者」にさせた日本の指導者達をどう処断なさるのでしょうか?
もう処断されたと思っています。謝罪や賠償も法的には済んだと思っています。これ以上は処断のしようがありません。あとはその歴史をどう受け止めていくか、あるいはこれからどう歴史を創造していくかということになるでしょう。
それにあたっては戦後60年の現在、できるだけ正確かつ公平な歴史観、自虐でも過剰評価でもない、自国の誇り・愛着を持つと同時に近隣との相互理解を深められるような歴史認識が望まれることでしょう。
おそらく日本も韓国も歴史についてできるだけの正確さと公平さを期する態度をとり続けていけば、次第に、相互理解の交差に近づいていく可能性はあるものと思います。日韓ともにこれからの課題です。
ただ、植民地時代において日本のために働くことを選択し、あるいは選択させられて傷ついた朝鮮人を、日本人である私は戦後何年であろうと、揶揄する気持ちにはなれません。
>傀儡を作り、彼らを裏切り者に仕立て上げた自国の負の部分を棚に上げる「自由主義史観」を、加害国民である私は肯定できません。
私は必ずしも自由史観支持者ではありませんが、お言葉にあった教科書に限って申し上げますと、一定の検定を経ているものであれば、私は拒否すべきではないという立場です。左翼教科書も同様です。
あとは国民がどう判断して受け入れるかにまかせればいい。歴史をどう受け止めていくか、これからの歴史をどのように作っていくかにあたって、自由史観も一つの見方ではあり、参考とすべき選択肢からはずす必要は全くないと思います。
一長一短です。広い意見の中から、私たちはある程度は公平な歴史認識を育んでいけるだけの民度はあると、私は考えています。
これは メッセージ 11250 (mattouya さん)への返信です.
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