竹島

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>松島渡海免許2

投稿者: hangetsujoh 投稿日時: 2005/09/17 09:37 投稿番号: [11058 / 18519]
   もし「松島渡海免許」が存在するなら大谷船はそれを当然携行すべきなのに、それがなかったということは最初から存在しなかったと考えるのが妥当です。それを池内氏は文献考察からも上のような論理を組み立て、こう結論づけました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   以上を要するに、「松島渡海免許」なるものは存在しないのである。万治元年〜寛文の交に現れた事態は新たな渡海免許発行ではなく、渡海をめぐる大谷・村川両家の利害調整に過ぎなかった。
   寛文六年(1666)、竹島渡海の帰りに漂流した大谷船が「寛永初年竹島渡海免許」の写のみを携行し、松島渡海免許を携行しなかったのは蓋し当然であった。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

   松島渡海に際して免許が出されず、老中の「御内意」で済まされたのは、松島は「竹嶋渡海筋」にあたり、同島に対する認識が「竹嶋近所之小嶋」とか「竹嶋之内松嶋」というもの、すなわち松島は竹島の属島と理解されたためだったと思われます。
   また、実際に松島渡海も竹島への渡航がてらになされたようで、竹島あっての松島だったようでした。こうした属島意識のゆえに、幕府が竹島(鬱陵島)放棄の際、外交書簡で松島についてふれなかったのにもかかわらず、のちの明治政府が竹島(鬱陵島)と同時に松島(竹島=独島)までも版図外としたのではないかと思われます。

(注1)塚本孝「竹島領有権問題の経緯」『調査と情報』第289号、
   国会図書館,1996, P2
(注2)池内敏「竹島渡海と鳥取藩」『鳥取地域史研究』第1号,1999,P38
http://www.han.org/a/half-moon/shiryou/ronbun/ikeuchi1999.pdf
<史料8傍線部>
  松島へ七八拾石之小舟遣、鉄砲ニ而ミち打申候ハ、小島之方ニ候間、竹島江
  ミちにけさり、竹島之納所大分候ハンと市兵衛望申候
<史料7b>
  来年より竹嶋之内松嶋へ貴様舟御渡之筈ニ御座候、先年四郎五郎 御老中へ
  得御内意申候
<史料7c>
  渡海之番年相定、市兵衛殿・貴様へ証文相渡し置候間、村川殿と御相談候而、
  其証文次第ニ可被成候、市兵衛殿も貴様も其証文之通少しも御違背者有之間
  敷儀と存候
<史料7d>
  先年相渡し候證文ニ具可有御座候間、今以其通ニ舟御渡し可被成候
<史料5f>於然者互事六ヶ敷く無之様御談合可被成候

(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
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