竹島

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te2222000さん

投稿者: VIVA_VIVA_21 投稿日時: 2005/08/21 09:26 投稿番号: [10350 / 18519]
お久しぶりです。
すいません。しばらく掲示板を離れておりました。改めて拝読中ですが、やはり貴兄の意見には同意できません。すでに隠州視聴合記の解釈については、貴兄と反対者によって意見が出し尽くされた感があり、すでに話題も他に移っているところ。ここで蒸し返す理由がよく分かりませんが、無視するのも失礼ですので貴兄のご意見につき雑感など大急ぎで書き込みたいと思います。

何点かありますが、まず、別の方から指摘があり、ご訂正になっていますが念のため申し添えますと、
>仮に「通航一覧」に関するご説明が全て正しかったとしても「隠州視聴合紀は竹島と松島が朝鮮領だと述べていないが、通航一覧によれば朝鮮領である」という結論が得られるだけです。
の部分はご訂正の通り、通航一覧は1853年時点の幕府の認識で竹島(=鬱稜島)が朝鮮領という認識だけあるだけで、竹島事件に見られるように松島(=竹島)は依然として日本領であるということです。

なお、半月城氏は、No.9640において斉藤豊仙が
「江戸幕府から朱印をもらった大船が島の開発にあたる実例を知っていたのなら」
「幕府は鬱稜島を自国領と見なし開発許可を与えた。」と言うこともできる。
という主張をされていましたが、私の方で
No.9818において
「朱印、奉書など公儀権力のお墨付きがなければ開発できないのを知らないはずがない」
と指摘しました。
つまり斎藤豊仙は幕府の奉書は開発許可か渡航許可であると見ていたので、その指定地を朱印の地と呼んだという主張の正当性を確認したわけです。この場合の朱印の地とは幕府という公儀権力の開発許可指定地という意味です。
なお、念のために半月城氏には伊豆大島の開発は鎌倉幕府の朱印により行われた例も指摘しておきました。

すでに斎藤豊仙の勤務していた隠岐の番所では鬱稜島、竹島への渡航管理をしていた点については異論がありませんが、この時に幕府や斎藤豊仙がその両島を日本領と見ていたか、朝鮮領と見ていたかという点が問題になっているわけです。(本来は問題にすらならないが、一部の竹島韓国領派の歪曲と捏造により話がややこしくなっている。)
また、別途、この後、竹島一件で幕府が朝鮮側と領有権を争って、一時は武威を用いて鬱稜島を死守する構えすら見せたことも幕府の鬱稜島領有意識を示すものであることを指摘しました。

従前より、鬱稜島、竹島が日本の領土でないという認識については、著者自身がそれらの島への渡航を管理していた歴史的事実を無視しない限りは導けないと主張して参りました。さらに当時の対外関係から言っても鎖国政策をテーゼとする幕府が外国という認識の島に渡航許可を出すはずがありませんし、その後、「竹島一件」で領有を争ったのも自国領であるとの認識を持っていた証拠です。
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