竹島

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≫本朝地理志略と隠州視聴合紀の竹島

投稿者: allarefriends2000 投稿日時: 2005/08/16 22:11 投稿番号: [10308 / 18519]
te2222000さん

コメントと国代記の新解釈、有難うございます。

>国代記の場合は単に竹島が日本の北西境だと述べるだけなので、竹島が隠岐の一部か鳥取藩付属かは関係無く、それほど松江藩首脳が難色を示すことはないような気もします。

「竹島が日本の北西境だと述べる」ことは竹島を日本の領土とすることです。日本領となれば、それは天領かどこかの藩に属することになります。隠州視聴合紀は、te2222000さんが#10129で示されたように、「一貫して隠州のことだけが書かれています」から、竹島は隠岐の一部とされ、松江藩に管理が押し付けられるのを恐れたのではないでしょうか。後の「竹島一件」の処置で解るように、所謂「鎖国体制」が確立された当時において、各藩も幕閣も領土の拡大には消極的であったように思います。

>齋藤勘介としては竹島が隠岐に属すると明記することこそが、師の思いに応える上で重要だったのではないでしょうか。

ハイ、齋藤勘介は、新進気鋭の能吏として領土の拡大に積極的で、竹島が隠岐に属すると明記して、「竹島渡海事業」も松江藩主導で行いたかったと思います。齋藤勘介は、林羅山の直接の弟子ではありませんが、隠州視聴合紀が「概して仏説にきびしく、神社のこととなると考証が詳しくなる」(石塚尊俊:隠州視聴合紀解題.日本庶民生活史料集成, 20, 三一書房, 1972)とされますから、羅山の推挙で「千石ノ儒者」として召抱えられた(佐野正巳:松江藩学芸史の研究.明治書院, 1981)黒澤弘忠と、師弟関係にあったと思われます。

齋藤勘介は、羅山の孫弟子としてその意思を継いで、竹島・松島を含む「大隠岐国」構想を抱いていたかもしれません。しかし竹島を隠州の一部とすることは、鳥取藩の権益のみならず、幕府の権限をも侵すことになりますから、松江藩首脳は許さないと思います。従って、te2222000さんのトンデモ説に全面的に同意します。「別に乾の方に竹島松島あり」と書いたが削除されたとは、気が付きませんでした。有難うございました。

引用
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もともと齋藤勘介の提出した報告には、以下のように竹島を隠州の一部とする記述があり、したがって竹島を含んだ隠州を西北境と考えていた。

其の巽地に在るを島前と言うなり。知夫郡海部郡これに属す。
其の震地に位するを島後と言うなり。周吉郡穏地郡これに属す。
別に乾の方に竹島松島あり。

しかし、報告を受け取った松江藩首脳は、竹島を隠州の一部と記述することで鳥取藩との間に揉め事が起こることを恐れ、最後の1行を勝手に削除した。

その結果、島前が南東で島後が東という不可解な位置説明と、竹島の説明の後で「此州」が西北境であると述べる曖昧な文章表現を残したまま、この文書は世に広まることとなった。
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