>Re:lib1964_1982君に
投稿者: torezojp 投稿日時: 2005/07/05 18:53 投稿番号: [10096 / 18519]
【引用開始】
以下は感想。
「南、南東、南西、北から東、北西」の順に述べられている記述を、「南、南東、南西、北から東」と「北西」を分離して、前者は隠岐国外、後者は隠岐国内と読むべきであるとの解釈には賛成しかねますが、私が、その可能性が無いと言っているわけではありません。
【転写】
従って、2.〜3.で隠岐を基点にした方位は、ほぼ現在の方位と同様である。と言うことは、斉藤豊仙に依る文書は、2.以降の部分の記載であろう。
…見聞が加わり地誌に3.〜4.の記載が加わったものと考えられる。
【転写終】
2.〜3.の方位が、ほぼ現在の方位と同様であり、2.以降が同一人物によって書かれたことは、そのように推察できると思います。
2.が先に成立し、3.以降があとから成立したのか、同時に書かれたのか。それは、私にはなんとも言えません。
torezojp君、自らそれを実証し、学会に発表したらいかがかな。
【引用終了】
お手前と違って愚老は寺子屋しか出てないもので、掲示板か、せいぜい会議室が似合っておるわ。(苦笑)
学会発表するまでもなく、今回の池内論文以外は
隠州在北海中故云隠岐島、
従是南、至雲州美穂関三十五里、辰巳至泊州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、俗言磯竹島 多竹魚海鹿、按神書所謂五十猛歟、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣
のように斉藤豊仙の「隠州視聴合紀−国代記」でこの部が引用され論じられることが多いわな。愚見では1.歴史的記述の部分と、2.〜4.の部分が区別され、1.を除く部分が江戸時代の(松島発見後)書かれた斉藤豊仙の記載であることが先の「方位のズレ」などから自明のこととして議論されていたものと考えておるわ。定説以前の問題であろうよ。げに、門外漢は、己の分を守り掲示板で吠え合うぐらいが身分相応でないかな、lib1964_1982猊下。サマと云ってみたり君付けにしたりしてみたり、”徒に己を貶めるでないヨ。”
以下は感想。
「南、南東、南西、北から東、北西」の順に述べられている記述を、「南、南東、南西、北から東」と「北西」を分離して、前者は隠岐国外、後者は隠岐国内と読むべきであるとの解釈には賛成しかねますが、私が、その可能性が無いと言っているわけではありません。
【転写】
従って、2.〜3.で隠岐を基点にした方位は、ほぼ現在の方位と同様である。と言うことは、斉藤豊仙に依る文書は、2.以降の部分の記載であろう。
…見聞が加わり地誌に3.〜4.の記載が加わったものと考えられる。
【転写終】
2.〜3.の方位が、ほぼ現在の方位と同様であり、2.以降が同一人物によって書かれたことは、そのように推察できると思います。
2.が先に成立し、3.以降があとから成立したのか、同時に書かれたのか。それは、私にはなんとも言えません。
torezojp君、自らそれを実証し、学会に発表したらいかがかな。
【引用終了】
お手前と違って愚老は寺子屋しか出てないもので、掲示板か、せいぜい会議室が似合っておるわ。(苦笑)
学会発表するまでもなく、今回の池内論文以外は
隠州在北海中故云隠岐島、
従是南、至雲州美穂関三十五里、辰巳至泊州赤碕浦四十里、未申至石州温泉津五十八里、自子至卯、無可往地、戍亥間行二日一夜有松島、又一日程有竹島、俗言磯竹島 多竹魚海鹿、按神書所謂五十猛歟、此二島無人之地、見高麗如自雲州望隠州、然則日本之乾地、以此州為限矣
のように斉藤豊仙の「隠州視聴合紀−国代記」でこの部が引用され論じられることが多いわな。愚見では1.歴史的記述の部分と、2.〜4.の部分が区別され、1.を除く部分が江戸時代の(松島発見後)書かれた斉藤豊仙の記載であることが先の「方位のズレ」などから自明のこととして議論されていたものと考えておるわ。定説以前の問題であろうよ。げに、門外漢は、己の分を守り掲示板で吠え合うぐらいが身分相応でないかな、lib1964_1982猊下。サマと云ってみたり君付けにしたりしてみたり、”徒に己を貶めるでないヨ。”
これは メッセージ 10095 (lib1964_1982 さん)への返信です.
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