隱州戌亥之極地
投稿者: te2222000 投稿日時: 2005/06/27 05:48 投稿番号: [10018 / 18519]
#9991で私は以下のように書きました。
> ただし、「隱州戌亥之極地」を「隠州は北西の果ての地」と
> した私の解釈が正しいものとしてですが。
> 実はこれについては90%程度の自信しか持てない理由があり、
> それは別記事として書くことにします。
この理由というのは単純で、当該個所の前後に意味の分からない文があるため、文脈を誤解している可能性が否定できないのです。
そこでテクストをもう少し広い範囲で紹介し、私の分からない部分について識者の方の意見を聞きたく思います。
テクストの出典、表記方法は #9649 に書いたものに準じます。
以下は、巻二・周吉郡・元谷村の節からの引用です。村の地理を記述した後に続く文で、3年に一度行なわれる日月の祭を説明しています。
−−−−−−−−−−−−
一小堂なり(ママ)
其堂を會處と云
彼八王寺の社の神と其向の常樂寺の神と三年に一度爰に會して祭事あり
此を日月の祭と云
其儀式は季節の仲の九月吉辰を卜して社より日神を奉じ寺より月神を奉ず
皆長竿の上に其形を掛て左右に玉輿をかざり出す
銀を以て月を色どり金を以って日を色どれり
諸人前後に〓束して立て此堂に合祭して僧徒咒を持し讀經し畢て近隣の里人老若緇素も集り舞蹈し唱歌す
(〓は「将」の下に「衣」)
[訳]
一つの小堂がある。
その堂を会処という。
例の八王子の社の神と、その向かいの常楽寺の神とが、三年に一度ここに会して祭事を行なう。
これを日月の祭という。
その儀式は9月の吉日を占って、社より日神を奉じ、寺より月神を奉じる。
どちらも長い竿の上にその形を掛けて、左右に玉輿ををかざって出す。
銀で月を彩り、金で日を彩っている。
多くの人が前後に装束をつけて立ち、この堂に集まって祭事を行なう。
僧が咒を持して読経し、終わると近隣の人々の老若男女が集まって踊り歌う。
−−−−−−−−−−−−
これに続いて、「隱州戌亥之極地」を含む以下の文章が現れます。
−−−−−−−−−−−−
按此日月の祭古之遺法歟
書曰味谷寅餞納日
本朝亦曾行此禮歟
隱州戌亥之極地昧暗也
與元立日相近也
上古於是餞納日
亦未可知焉
爲好古人姑記備之
[訓読]
按ずるにこの日月の祭は古の遺法か。
書に曰く、【味谷寅?】納日に餞す。
本朝もまたかつて此の禮を行なうか。
隱州は戌亥の極地にして昧暗なり。
【元と立日?】相ひ近し。
上古、是において納日に餞す、
またいまだ知るべからず。
古を好む人のために、しばらく記してこれに備ふ。
[訳]
思うに、この日月の祭はいにしえの遺法だろうか。
文献によると【味谷寅(?)】夕日にはなむけをした。
わが国でも、かつてこの礼を行なったのだろうか。
隠州は北西の果ての地で暗い。
【與元立日?】互いに近い。
昔、ここにおいて夕日にはなむけをしたか、
まだわからない。
古いことを好む人のため、とりあえず書いておく。
−−−−−−−−−−−−
特に全く分からない個所を【○○○?】のように書きましたが、ここに限らず全体的に自信がありません。ご批判、ご助言をお待ちします。
> ただし、「隱州戌亥之極地」を「隠州は北西の果ての地」と
> した私の解釈が正しいものとしてですが。
> 実はこれについては90%程度の自信しか持てない理由があり、
> それは別記事として書くことにします。
この理由というのは単純で、当該個所の前後に意味の分からない文があるため、文脈を誤解している可能性が否定できないのです。
そこでテクストをもう少し広い範囲で紹介し、私の分からない部分について識者の方の意見を聞きたく思います。
テクストの出典、表記方法は #9649 に書いたものに準じます。
以下は、巻二・周吉郡・元谷村の節からの引用です。村の地理を記述した後に続く文で、3年に一度行なわれる日月の祭を説明しています。
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一小堂なり(ママ)
其堂を會處と云
彼八王寺の社の神と其向の常樂寺の神と三年に一度爰に會して祭事あり
此を日月の祭と云
其儀式は季節の仲の九月吉辰を卜して社より日神を奉じ寺より月神を奉ず
皆長竿の上に其形を掛て左右に玉輿をかざり出す
銀を以て月を色どり金を以って日を色どれり
諸人前後に〓束して立て此堂に合祭して僧徒咒を持し讀經し畢て近隣の里人老若緇素も集り舞蹈し唱歌す
(〓は「将」の下に「衣」)
[訳]
一つの小堂がある。
その堂を会処という。
例の八王子の社の神と、その向かいの常楽寺の神とが、三年に一度ここに会して祭事を行なう。
これを日月の祭という。
その儀式は9月の吉日を占って、社より日神を奉じ、寺より月神を奉じる。
どちらも長い竿の上にその形を掛けて、左右に玉輿ををかざって出す。
銀で月を彩り、金で日を彩っている。
多くの人が前後に装束をつけて立ち、この堂に集まって祭事を行なう。
僧が咒を持して読経し、終わると近隣の人々の老若男女が集まって踊り歌う。
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これに続いて、「隱州戌亥之極地」を含む以下の文章が現れます。
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按此日月の祭古之遺法歟
書曰味谷寅餞納日
本朝亦曾行此禮歟
隱州戌亥之極地昧暗也
與元立日相近也
上古於是餞納日
亦未可知焉
爲好古人姑記備之
[訓読]
按ずるにこの日月の祭は古の遺法か。
書に曰く、【味谷寅?】納日に餞す。
本朝もまたかつて此の禮を行なうか。
隱州は戌亥の極地にして昧暗なり。
【元と立日?】相ひ近し。
上古、是において納日に餞す、
またいまだ知るべからず。
古を好む人のために、しばらく記してこれに備ふ。
[訳]
思うに、この日月の祭はいにしえの遺法だろうか。
文献によると【味谷寅(?)】夕日にはなむけをした。
わが国でも、かつてこの礼を行なったのだろうか。
隠州は北西の果ての地で暗い。
【與元立日?】互いに近い。
昔、ここにおいて夕日にはなむけをしたか、
まだわからない。
古いことを好む人のため、とりあえず書いておく。
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特に全く分からない個所を【○○○?】のように書きましたが、ここに限らず全体的に自信がありません。ご批判、ご助言をお待ちします。
これは メッセージ 9991 (te2222000 さん)への返信です.
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