「外一島」について整理します。③
投稿者: VIVA_VIVA_21 投稿日時: 2005/06/26 11:58 投稿番号: [10003 / 18519]
ここで鬱稜島という1つの島に2つの名前が付けられ、しかも片方の位置が間違っていたために2つの島という誤認を産むことになります。
両者の申告通りの位置に2つの島が別個に描かれた地図が登場します。それが・・・
③1811年 アロー・スミス(Arrow-Smith)の日本地域図:ダージュレー島の北西に実在しないアルゴノート島を大きく記載。
A【鬱稜島=ダージュレー島、竹島=なし、混乱の元!(架空の島)=アルゴノート島】
そして、この架空の島を含んだ2島が描かれた地図に対して、竹島(鬱稜島)と松島(竹島)の位置関係、さらに鬱稜島が竹島より大きいことを知っていたシーボルトはダージュレー島を松島、アルゴノート島を竹島とした地図を出します。鬱稜島が松島になってしまっている点に注意です。
④1840年 シーボルト(Siebold)、地図を発刊
B【鬱稜島=松島、竹島=なし、混乱の元!(架空の島)=竹島】
そして、この8年後にフランス船リアンクール号が現在の竹島を発見し、リアンクール岩と命名します。位置関係が③の錯誤が反映したアロー・スミスの地図(B)と違う位置にあるため、ダージュレー島、アルゴノート島とは別の島として「リアンクール」が登場します。
ここにアロー・スミスの地図にリアンクール岩が加わった地図が登場することになります。架空の島を含む3島が描かれた地図と言うことになります。
⑤1848年 フランス船リアンクール号、竹島を発見し「リアンクール岩」と命名。
C【鬱稜島=ダージュレー島、竹島=リアンクール、混乱の元!(架空の島)=アルゴノート島】
この地図はアメリカ独立戦争の最大の支援者であり、アメリカにとっての旦那的役割を果たしていたフランスがアメリカにも供与します。当時の米国外交機関や洋上艦隊が使ったのがこの地図です。日本のアメリカ領事館、黒船で知られるペリー提督の使用したのもこの地図です。
さらに、その7年後にイギリスの船であるホーネット号がリアンクール岩を発見し。英名「ホーネット岩」と命名します。一部にリアンクール岩をホーネット岩と表記した地図も出てきますが、こちらはリアンクールがホーネットになっただけですので、これが直接の原因となる大きな問題は生じません。リアンクールはなまって「リャンコ」との呼ばれたりします。これを図にすると、
D【鬱稜島=松島、竹島=リアンクール、混乱の元!(架空の島)=竹島】
というわけです。
その後、まもなくしてロシア船パラーダ号がアルゴノート島が実在しない島であることを確認しますが、国際影響力の点で大英帝国の栄光を味わいはじめた頃の英国に比べロシアの影響力は小さく、地図も鬱稜島の位置関係を間違えた英国人が起こした錯誤から生まれた実在しないアルゴノート島が亡霊のようにしばらく地図に残ります。
その証拠に明治になっても、この錯誤を含む地図が用いられていました。1871年に兵部省陸軍参謀局に間諜隊が設置され、地図の収集をはじめますが、この際に収集した地図もアルゴノート島が記されたBの地図が収集されています。鬱稜島を松島として、その北西に架空の島アルゴノート島である竹島を描いたものです。
このことから、
⑥1858年 ロシア船パラーダ号(Pallada)、アルゴノート島が実在しないことを確認。
⑦1871年 架空の島であるアルゴノート島が残った地図を収集するなど混乱が続く。
という形になり、架空の島アルゴノート島が竹島と表示され、鬱稜島が松島と表示された状態が続いていることを示しています。(Bの地図)
両者の申告通りの位置に2つの島が別個に描かれた地図が登場します。それが・・・
③1811年 アロー・スミス(Arrow-Smith)の日本地域図:ダージュレー島の北西に実在しないアルゴノート島を大きく記載。
A【鬱稜島=ダージュレー島、竹島=なし、混乱の元!(架空の島)=アルゴノート島】
そして、この架空の島を含んだ2島が描かれた地図に対して、竹島(鬱稜島)と松島(竹島)の位置関係、さらに鬱稜島が竹島より大きいことを知っていたシーボルトはダージュレー島を松島、アルゴノート島を竹島とした地図を出します。鬱稜島が松島になってしまっている点に注意です。
④1840年 シーボルト(Siebold)、地図を発刊
B【鬱稜島=松島、竹島=なし、混乱の元!(架空の島)=竹島】
そして、この8年後にフランス船リアンクール号が現在の竹島を発見し、リアンクール岩と命名します。位置関係が③の錯誤が反映したアロー・スミスの地図(B)と違う位置にあるため、ダージュレー島、アルゴノート島とは別の島として「リアンクール」が登場します。
ここにアロー・スミスの地図にリアンクール岩が加わった地図が登場することになります。架空の島を含む3島が描かれた地図と言うことになります。
⑤1848年 フランス船リアンクール号、竹島を発見し「リアンクール岩」と命名。
C【鬱稜島=ダージュレー島、竹島=リアンクール、混乱の元!(架空の島)=アルゴノート島】
この地図はアメリカ独立戦争の最大の支援者であり、アメリカにとっての旦那的役割を果たしていたフランスがアメリカにも供与します。当時の米国外交機関や洋上艦隊が使ったのがこの地図です。日本のアメリカ領事館、黒船で知られるペリー提督の使用したのもこの地図です。
さらに、その7年後にイギリスの船であるホーネット号がリアンクール岩を発見し。英名「ホーネット岩」と命名します。一部にリアンクール岩をホーネット岩と表記した地図も出てきますが、こちらはリアンクールがホーネットになっただけですので、これが直接の原因となる大きな問題は生じません。リアンクールはなまって「リャンコ」との呼ばれたりします。これを図にすると、
D【鬱稜島=松島、竹島=リアンクール、混乱の元!(架空の島)=竹島】
というわけです。
その後、まもなくしてロシア船パラーダ号がアルゴノート島が実在しない島であることを確認しますが、国際影響力の点で大英帝国の栄光を味わいはじめた頃の英国に比べロシアの影響力は小さく、地図も鬱稜島の位置関係を間違えた英国人が起こした錯誤から生まれた実在しないアルゴノート島が亡霊のようにしばらく地図に残ります。
その証拠に明治になっても、この錯誤を含む地図が用いられていました。1871年に兵部省陸軍参謀局に間諜隊が設置され、地図の収集をはじめますが、この際に収集した地図もアルゴノート島が記されたBの地図が収集されています。鬱稜島を松島として、その北西に架空の島アルゴノート島である竹島を描いたものです。
このことから、
⑥1858年 ロシア船パラーダ号(Pallada)、アルゴノート島が実在しないことを確認。
⑦1871年 架空の島であるアルゴノート島が残った地図を収集するなど混乱が続く。
という形になり、架空の島アルゴノート島が竹島と表示され、鬱稜島が松島と表示された状態が続いていることを示しています。(Bの地図)
これは メッセージ 10002 (VIVA_VIVA_21 さん)への返信です.
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