「外一島」について整理します。②
投稿者: VIVA_VIVA_21 投稿日時: 2005/06/26 11:57 投稿番号: [10002 / 18519]
まあ、それはともかく、正確だった日本の地図になぜ混乱が生じたのか考えてみたいと思います。
「外一島」の部分もこれを読み解くことですっきりすると思います。
ここで注意すべきは島に近い位置にある鳥取では、中央政府の混乱とは別に正しい位置関係を認識していた点です。例えば前述の享保9年(1723年)に発行された鳥取藩差出図には、松島(現竹島)竹島(現鬱稜島)が正確な位置関係で描かれています。また、現在の竹島はほぼ同じ大きさの2つの島が描かれてます。つまり位置、形状ともに正確に理解していたと言うことです。
さて、混乱の元についてですが、これは日本海に進出するようになったヨーロッパの船が日本海に浮かぶ比較的大きな島である「鬱稜島」に「ダージュレー島」(フランスが命名)、「アルゴノート島」(イギリスが命名)という別々の呼び名を付けたことが混乱のきっかけであるのは間違いありません。しかもイギリスは位置を間違えて記録したのです。つまり、図示すると・・・
①1789年
フランス海軍ラペルーズ大佐、鬱稜島をダージュレー島と命名
②1797年
イギリスのブロートン、鬱稜島をアルゴノート島と命名(鬱稜島の北西に記録)
ラペルーズは鬱稜島と重なる位置にダージュレー島を記載しましたので良かったのですが、前述のようにブロートンはアルゴノート島の位置をダージュレー島の北西の緯度経度を記録してしまいます。
つまり、鬱稜島が現在の位置の他に北西方向にもう1つできてしまったわけです。
ちなみに、宗谷海峡はフランス(欧州)ではラペルーズ海峡と呼ばれますが、このラペルーズが由来です。フランス革命で散る運命にあるルイ16世の太平洋方面の探査指令で極東に来ていたのです。宗谷海峡を抜けて日本海に進出し、対馬海峡へ向かう途中に鬱稜島を発見したというわけです。
これは メッセージ 10001 (VIVA_VIVA_21 さん)への返信です.
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