地方新聞より
投稿者: dylake2r5j1 投稿日時: 2004/01/14 20:49 投稿番号: [4855 / 43168]
http://www.chunichi.co.jp/niccho/040113T1343001.html
北朝鮮に在日専用刑務所
亡命の元副首相補佐官証言
日本からの帰国事業で在日朝鮮人や日本人妻らを受け入れた北朝鮮に1970年代半ば、帰国者だけを収容するための専用刑務所が造られていたことが分かった。収容者は全帰国者の約1割の1万人に上ったという。北朝鮮の元副首相補佐官で韓国へ亡命した呉基完(オ・ギワン)氏(75)が本紙の取材に応じ、証言した。
帰国者向け刑務所の実態が示されるのは初めて。当時「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮で、帰国者が厳しく統制された一端が明らかになった。
呉氏によると、この刑務所は故金日成主席の指示で、平壌近郊の三石区域三石里に新設された。近年、閉鎖されたとの情報がある。北朝鮮では「教化所」と呼ばれる他の刑務所と同様に、政治への不満を漏らした人、スパイ容疑者や家族らを収容。農作業など過酷な肉体労働を強いた。
設置の理由は帰国者の“隔離”。60年代に多くの帰国者が刑務所や政治犯収容所に入れられたが、一緒にいる一般収容者への心理的影響が大きかった。「帰国者は服装も考え方も立派で“日本で差別を受け、生活が苦しくて帰ってきた”という党の宣伝がうそとばれるのを恐れたため」(呉氏)という。
韓国や日本出身者は「反動層」として、スパイ容疑のでっち上げが横行していたと呉氏は説明。帰国者らが刑務所送りになれば、逮捕や連行を担当する関係者が帰国者の財産を没収できる役得も、容疑の密告を助長したとしている。
呉氏は1965年に韓国へ亡命。それまで北朝鮮で金一副首相の補佐官や、帰国船の着く清津港で迎接委員を務めた。
韓国ではソウル近郊に在住、情報機関「国家安全企画部」(現・国家情報院)に長年勤め、北朝鮮の情勢に精通する。
◇北朝鮮帰国事業 北朝鮮と日本の赤十字の協定に基づき、1959年から84年に在日朝鮮人と家族約9万3000人が北朝鮮に渡った。うち約6000人が日本国籍をもち、約1800人が日本人妻だったとされる。
◇北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の山田文明代表(大阪経済大助教授)の話 在日専用の刑務所の存在が具体的に示されたのは初めて。1960年代後半から故金日成主席が他の政治勢力を排除、粛清した動きの中で、国内で異質な帰国者を警戒し、統制を強化した歴史を如実に物語る貴重な証言だろう。
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「帰国者は服装も考え方も立派で“日本で差別を受け、生活が苦しくて帰ってきた”という党の宣伝がうそとばれるのを恐れたため」(呉氏)という。
・・・これ、いまだにやってませんか?
北朝鮮に在日専用刑務所
亡命の元副首相補佐官証言
日本からの帰国事業で在日朝鮮人や日本人妻らを受け入れた北朝鮮に1970年代半ば、帰国者だけを収容するための専用刑務所が造られていたことが分かった。収容者は全帰国者の約1割の1万人に上ったという。北朝鮮の元副首相補佐官で韓国へ亡命した呉基完(オ・ギワン)氏(75)が本紙の取材に応じ、証言した。
帰国者向け刑務所の実態が示されるのは初めて。当時「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮で、帰国者が厳しく統制された一端が明らかになった。
呉氏によると、この刑務所は故金日成主席の指示で、平壌近郊の三石区域三石里に新設された。近年、閉鎖されたとの情報がある。北朝鮮では「教化所」と呼ばれる他の刑務所と同様に、政治への不満を漏らした人、スパイ容疑者や家族らを収容。農作業など過酷な肉体労働を強いた。
設置の理由は帰国者の“隔離”。60年代に多くの帰国者が刑務所や政治犯収容所に入れられたが、一緒にいる一般収容者への心理的影響が大きかった。「帰国者は服装も考え方も立派で“日本で差別を受け、生活が苦しくて帰ってきた”という党の宣伝がうそとばれるのを恐れたため」(呉氏)という。
韓国や日本出身者は「反動層」として、スパイ容疑のでっち上げが横行していたと呉氏は説明。帰国者らが刑務所送りになれば、逮捕や連行を担当する関係者が帰国者の財産を没収できる役得も、容疑の密告を助長したとしている。
呉氏は1965年に韓国へ亡命。それまで北朝鮮で金一副首相の補佐官や、帰国船の着く清津港で迎接委員を務めた。
韓国ではソウル近郊に在住、情報機関「国家安全企画部」(現・国家情報院)に長年勤め、北朝鮮の情勢に精通する。
◇北朝鮮帰国事業 北朝鮮と日本の赤十字の協定に基づき、1959年から84年に在日朝鮮人と家族約9万3000人が北朝鮮に渡った。うち約6000人が日本国籍をもち、約1800人が日本人妻だったとされる。
◇北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の山田文明代表(大阪経済大助教授)の話 在日専用の刑務所の存在が具体的に示されたのは初めて。1960年代後半から故金日成主席が他の政治勢力を排除、粛清した動きの中で、国内で異質な帰国者を警戒し、統制を強化した歴史を如実に物語る貴重な証言だろう。
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「帰国者は服装も考え方も立派で“日本で差別を受け、生活が苦しくて帰ってきた”という党の宣伝がうそとばれるのを恐れたため」(呉氏)という。
・・・これ、いまだにやってませんか?
これは メッセージ 1 (dylake2r5j1 さん)への返信です.
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