うわっ!完全に乗り遅れた・・・①
投稿者: samurai_03_japanjp 投稿日時: 2006/01/07 02:18 投稿番号: [32361 / 43168]
ハル・ノート・・・
日米開戦・・・
こんな美味しい話題が姐さんトピで・・・orz
・・・気を取り直して・・・
まずは、姐さん、韓カテ諸氏、謹賀新年、おめでとうございます。
昨年(12月)以来、クレーム処理の嵐で、殆ど現場に「拉致」されておりました・・・
(除夜の鐘を、現場の作業中に聞いたときは、悲しかった・・・)
ようやっと、明日からの3連休が「正月休み」でつ・・・
さて、「ハル・ノート(Outline of proposed Basis for Agreement Between The United States and Japan)」ですが・・・
滝川氏が仰ってられるように、主たる目的は、日本の海外権益の「完全剥奪」と言う内容です。
当初は、日米双方共に「落とし処」を如何に見つけるか、で「思惑」は一致していたのですが。
それが何故、あのような「強硬案」になったか、ですが(最終案はハル国務長官ではなく、
ハリー・ホワイト財務次官補(後に共産主義者ということが発覚し糾弾される)が作成・大統領承認を得ました。
そして、1941年11月27日に日本側へ「最終通告」
この時期の世界情勢と、当時の米大統領府、日米の産業構造、等々を鑑みない事には、「ハル・ノート」は理解できないかと考えます。
1.世界情勢:1941年11月はどういった情勢だったか、ですが。
①.欧州
①−1英国:バトル・オブ・ブリテンは1941年春に、ドローの形で一段落し、
英本土上陸作戦「ゼー・レーヴェ(アシカ)作戦」も中止となり、英本土は一息ついたものの。
ドイツ海軍潜水艦部隊(ウンター・ゼー・フロッテ)によるU−ボートの「ヴォルフパック(群狼)作戦」により、
英国商船団が多大な損害を受けていた時期でした。
ご存知の通り、英国は日本と同様の島国で、資源も乏しく、海外通商路の確保が国家の生命線です。
(英国海軍は、日米海軍とは系統の異なる、「海上通商路警備海軍」です。本質は)
北アフリカでは、「英国の『乳と蜜の土地』」中東とエジプトが危機的な状況下でした。
1941年11月、D.A.K(ドイツ・アフリカ軍団)と英国中東派遣軍(ウェーベル。後にオーキンレック指揮)と、
スエズ・中東油田地帯の攻防戦を展開していました。
既に6月「バトルアクス作戦」は失敗し、フォート・カプッツォ、ハルファイヤ峠、サルーム、と言った要衝はドイツ側に握られ。
ドイツ軍はイタリア領リビアから、英国保護領エジプトへ侵攻中の状況でした。
1941年11月の「クルセーダー作戦」により、何とかD・A・Kをエル・アゲイラまで撤退さす事はできましたが(エジプトとの国境線まで、わずが200km弱程)
いつ、戦線が崩壊するか、予断ならない状況下でした。
チャーチルは米国の即時参戦を望んだ。
日米開戦・・・
こんな美味しい話題が姐さんトピで・・・orz
・・・気を取り直して・・・
まずは、姐さん、韓カテ諸氏、謹賀新年、おめでとうございます。
昨年(12月)以来、クレーム処理の嵐で、殆ど現場に「拉致」されておりました・・・
(除夜の鐘を、現場の作業中に聞いたときは、悲しかった・・・)
ようやっと、明日からの3連休が「正月休み」でつ・・・
さて、「ハル・ノート(Outline of proposed Basis for Agreement Between The United States and Japan)」ですが・・・
滝川氏が仰ってられるように、主たる目的は、日本の海外権益の「完全剥奪」と言う内容です。
当初は、日米双方共に「落とし処」を如何に見つけるか、で「思惑」は一致していたのですが。
それが何故、あのような「強硬案」になったか、ですが(最終案はハル国務長官ではなく、
ハリー・ホワイト財務次官補(後に共産主義者ということが発覚し糾弾される)が作成・大統領承認を得ました。
そして、1941年11月27日に日本側へ「最終通告」
この時期の世界情勢と、当時の米大統領府、日米の産業構造、等々を鑑みない事には、「ハル・ノート」は理解できないかと考えます。
1.世界情勢:1941年11月はどういった情勢だったか、ですが。
①.欧州
①−1英国:バトル・オブ・ブリテンは1941年春に、ドローの形で一段落し、
英本土上陸作戦「ゼー・レーヴェ(アシカ)作戦」も中止となり、英本土は一息ついたものの。
ドイツ海軍潜水艦部隊(ウンター・ゼー・フロッテ)によるU−ボートの「ヴォルフパック(群狼)作戦」により、
英国商船団が多大な損害を受けていた時期でした。
ご存知の通り、英国は日本と同様の島国で、資源も乏しく、海外通商路の確保が国家の生命線です。
(英国海軍は、日米海軍とは系統の異なる、「海上通商路警備海軍」です。本質は)
北アフリカでは、「英国の『乳と蜜の土地』」中東とエジプトが危機的な状況下でした。
1941年11月、D.A.K(ドイツ・アフリカ軍団)と英国中東派遣軍(ウェーベル。後にオーキンレック指揮)と、
スエズ・中東油田地帯の攻防戦を展開していました。
既に6月「バトルアクス作戦」は失敗し、フォート・カプッツォ、ハルファイヤ峠、サルーム、と言った要衝はドイツ側に握られ。
ドイツ軍はイタリア領リビアから、英国保護領エジプトへ侵攻中の状況でした。
1941年11月の「クルセーダー作戦」により、何とかD・A・Kをエル・アゲイラまで撤退さす事はできましたが(エジプトとの国境線まで、わずが200km弱程)
いつ、戦線が崩壊するか、予断ならない状況下でした。
チャーチルは米国の即時参戦を望んだ。
これは メッセージ 1 (dylake2r5j1 さん)への返信です.
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