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pyeongyang_kim さん①

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2005/10/07 13:41 投稿番号: [30229 / 43168]
>下に投稿した資料は私の意見ではなくて韓国の <強制動員真相糾明委員会> と言う団体で抜粹した文です.

>冷情に読んで何が間違っているのか知らせてくださればありがたいです.

>あまりにも資料が膨大で何日に分けて投稿するかと思います.

膨大な資料の投稿をする前に、まず、あなたは宿題をやるべきです。私も含めて皆様がお待ちかねですよ。

>労動者として連行された朝鮮人は募集とグァンアルでは, 徴用などの方式で動員された. しかしこれらが居住地から送り出し地域に送り出しされる過程に対しては知られた内容がない. これらの連行を指示した主体は何で, 末端行政機構では誰が連行に関与したし, この過程で企業の関与島はどの位あったのか, これらを輸送した輸送手段は何だったのか, どんな訓練を受けて送り出しされたのかなどに対してで具体的に確認されることができない.

「グァンアル」は「官斡旋」の略称「官斡」ですね。
具体的に確認できないはずはないでしょう。私が知るだけでもこれくらいはありますよ。

「終戦時の在日人口は約二百万人であり、そのうち移送計画による労働者は三十二万人に過ぎない。占領軍の命令によって日本政府は引き揚げ船を準備し、運賃無料、持ち帰り荷物制限二百三十キロまでという条件で帰国させた。昭和二十一年末までに約百四十万人が朝鮮に帰っていき、自分の意志で残留を希望した約六十万人が日本にとどまった。引き揚げにあたっては移送計画により渡日した労働者が優先とされている。結果として、三十二万人の「連行者」はほとんどこのとき帰国している。(中略)
計画期間中、在日人口は百二十万人増加する。各種統計を総合すると、このうち出稼ぎ渡航者とその家族が六十三万人で過半数となる。戦時中、労働者不足が激しかった内地に向かい朝鮮人は自分の意志で大量に渡航していたのだ。前期の三十二万人が終戦時における戦時動員労働者である。残り二十五万人は「官斡旋」「徴用」で渡日した後、現場を逃走し条件のよい飯場などで働く「自由労働者」(当時の用語)となった者である。」(西岡力   『産経新聞』2000年9月26日付)

「この内地移送計画の最後の時期に渡日し、やがてその手記を体験記として出版した例に、鄭忠海著『朝鮮人徴用工の手記』(井下春子訳、河合出版、一九九〇年)がある。鄭忠海(一九一九年生)が徴用令状を受け取ったのは一九四四年一一月末。出発前には、水登浦区庁前の広場で各地から動員された人々と共に壮行会が催され、一二月、広島市の東洋工業に配属された鄭忠海はその後十ヶ月ほどの日本滞在期間中、いくつかの地で労働に従事するが、最も辛かったのは奈良の西部勤労訓練所での教育訓練であったという。」(『在日・強制連行の神話』   鄭大均)

「末端行政機構では誰が連行に関与した」についてはこういうのがありますね。

「もつともひどいのは労務の徴用である。戦争が次第に苛烈になるに従つて、朝鮮にも志願兵制度が敷かれる一方、労務徴用者の割当が相当厳しくなつて来た。
納得の上で応募させてゐたのでは、その予定数に仲々達しない。そこで郡とか面(村)とかの労務係が深夜や早暁、突如男手のある家の寝込みを襲ひ、或ひは田畑で働いてゐる最中に、トラックを廻して何げなくそれに乗せ、かくてそれらで集団を編成して、北海道や九州の炭鉱へ送り込み、その責を果すといふ乱暴なことをした。 但総督がそれまで強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺ふ朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやってのけたのである。」(『朝鮮新話』   鎌田澤一郎)

とりあえずここまで。
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