abelardさんへー1の1
投稿者: mrmc1964 投稿日時: 2003/09/06 21:32 投稿番号: [2723 / 43168]
とりあえず、最初の書き込みに対するレスです。ふたつに分けます。
>1 - 犯罪者、ことに少年犯罪者の親等、年長者の家族が世間から批判を浴びるのは差別ではない。雪印等不始末をしでかした会社に事件当時所属していた社員が批判されるのも差別ではない。成人は自分の非保護者及び「自分が属している時点での集団・国等」の行う事について責任を負う。それに対する批判も受ける。当たり前の事である。成人は非保護者や、自己の属する集団が悪を行うのを止め、軌道修正させる「倫理的責任」を負っている。
>2 - 犯罪者の子・孫等、犯罪当時幼かった、あるいは生まれていなかった家族に世間から批判を浴びるのは血統による差別である。彼等は年長者を管理・監督する・意見を述べる立場になかったのだから責任を感じる必要はない。彼等に対して「知っているか、お前の親父は人殺しなんだぞ、土下座しろよ」等と言うのは明確なレイシズムである。犯人の子孫に付きまとってこのような事をするのはたとえ大坂の小学校の事件の被害者・遺族であろうと許されないと私は思う。
あなたはここで本当にレイしズムについて語っているのだろうか。全く無関係とは言わないが、むしろ責任の所在、誰が責を負うべきかを議論しているように思われる。
差別とはなにか。偏見に基づいて何事かを行うことだ。偏見は英語でprejudice、つまりpre-judgmentだ。合理的な根拠に基づかず、あらかじめ(pre)判断を下してしまうことを言う。性のみで判断を下せば、性差別だし、民族だけで判断を下せばレイシズムだ。あなたは、「朝鮮民族の多くは言葉遣いが非常に汚く、「在日」が就職差別を受けるのは、「お里が知れる」からだ」という意味のことを言った。これが合理的な根拠に基づいていれば、レイシズムではない。合理的な根拠を示せないならば、レイしズムといわれても仕方がない。
レイシズムに直接関係するかよく分からないが、せっかくだから、上のあなたの議論を検討しよう。1.では、子供の犯罪に親が道義的責任を持つことは当たり前のことだ。子供が未成年なら、民事上の責任さえ生ずるだろう。道義的責任故に親が「社会的制裁」としか言いようのない制裁を受けることになる場合もある。これを全て容認するわけではないが、現実の社会では一定の「制裁」は受忍しなければならない場合もあろう。
親子の関係を、単純に国家と個人(もしくは法人と個人)の関係に引き移すことは不適当である。国家が成したことに対して、一般の国民は個人として責を負うことはない。例えば、拉致は北朝鮮の国家犯罪であり北朝鮮政府は責任をとる必要があるが、それに関係しない一般国民は責任を負っていない(胸を痛めることはあろうが)。だから、拉致に関係しない日本の北朝鮮席在日が個人的に責任を追及されることはない。責任という言葉を極限まで広く取れば、国家の所行に対して、国民は責任を負っていると言えなくはない。しかし、これは親が子に責任を負っているのとは、全く異なった概念である。2.では、親の行為に子が責任を負わないのは当たりまえであるが、ここでも、国家・個人と親・子は分けて考えなくてはならない。先の戦争に日本国民は個人としての責任を負っていない。しかし、日本国家(政府)は責任を負っている。だから、国民が個人として反省したり、土下座をしたりする必要はごうもない。しかし、政府が反省の意を表すことはあり得る。
>1 - 犯罪者、ことに少年犯罪者の親等、年長者の家族が世間から批判を浴びるのは差別ではない。雪印等不始末をしでかした会社に事件当時所属していた社員が批判されるのも差別ではない。成人は自分の非保護者及び「自分が属している時点での集団・国等」の行う事について責任を負う。それに対する批判も受ける。当たり前の事である。成人は非保護者や、自己の属する集団が悪を行うのを止め、軌道修正させる「倫理的責任」を負っている。
>2 - 犯罪者の子・孫等、犯罪当時幼かった、あるいは生まれていなかった家族に世間から批判を浴びるのは血統による差別である。彼等は年長者を管理・監督する・意見を述べる立場になかったのだから責任を感じる必要はない。彼等に対して「知っているか、お前の親父は人殺しなんだぞ、土下座しろよ」等と言うのは明確なレイシズムである。犯人の子孫に付きまとってこのような事をするのはたとえ大坂の小学校の事件の被害者・遺族であろうと許されないと私は思う。
あなたはここで本当にレイしズムについて語っているのだろうか。全く無関係とは言わないが、むしろ責任の所在、誰が責を負うべきかを議論しているように思われる。
差別とはなにか。偏見に基づいて何事かを行うことだ。偏見は英語でprejudice、つまりpre-judgmentだ。合理的な根拠に基づかず、あらかじめ(pre)判断を下してしまうことを言う。性のみで判断を下せば、性差別だし、民族だけで判断を下せばレイシズムだ。あなたは、「朝鮮民族の多くは言葉遣いが非常に汚く、「在日」が就職差別を受けるのは、「お里が知れる」からだ」という意味のことを言った。これが合理的な根拠に基づいていれば、レイシズムではない。合理的な根拠を示せないならば、レイしズムといわれても仕方がない。
レイシズムに直接関係するかよく分からないが、せっかくだから、上のあなたの議論を検討しよう。1.では、子供の犯罪に親が道義的責任を持つことは当たり前のことだ。子供が未成年なら、民事上の責任さえ生ずるだろう。道義的責任故に親が「社会的制裁」としか言いようのない制裁を受けることになる場合もある。これを全て容認するわけではないが、現実の社会では一定の「制裁」は受忍しなければならない場合もあろう。
親子の関係を、単純に国家と個人(もしくは法人と個人)の関係に引き移すことは不適当である。国家が成したことに対して、一般の国民は個人として責を負うことはない。例えば、拉致は北朝鮮の国家犯罪であり北朝鮮政府は責任をとる必要があるが、それに関係しない一般国民は責任を負っていない(胸を痛めることはあろうが)。だから、拉致に関係しない日本の北朝鮮席在日が個人的に責任を追及されることはない。責任という言葉を極限まで広く取れば、国家の所行に対して、国民は責任を負っていると言えなくはない。しかし、これは親が子に責任を負っているのとは、全く異なった概念である。2.では、親の行為に子が責任を負わないのは当たりまえであるが、ここでも、国家・個人と親・子は分けて考えなくてはならない。先の戦争に日本国民は個人としての責任を負っていない。しかし、日本国家(政府)は責任を負っている。だから、国民が個人として反省したり、土下座をしたりする必要はごうもない。しかし、政府が反省の意を表すことはあり得る。
これは メッセージ 2701 (abelard さん)への返信です.
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