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お〜〜い!アホイニィ!3

投稿者: samurai_03_japan 投稿日時: 2005/04/06 23:37 投稿番号: [22064 / 43168]
で、大宗実録の十六年(1416年)丙申九月庚寅条
「十六年九月庚寅   以金麟雨為武陵等処按撫使   戸曹参判朴習啓   臣嘗為江原道都観察使   聞武陵島周回七息   傍有小島   其田可五十余結   所入之路   □通一人   不可並行   昔有方之用者   率十五家入居   或時   仮倭為寇   知其島者   在三陟   請使之往見   上可之   乃召三陟人前万戸金麟雨   間武陵島事   金麟雨   三陟人李万嘗往武陵而還    詳知其島之事   即召李万   麟雨又啓    武陵島遙在海中   人不相通   故避軍役者   或逃入焉   若此島多接人   即倭終必入寇   因此而侵於江原道矣   上燃之   以麟雨為武陵等処安撫使   以万為伴人   給兵船二隻・抄工二名・引海二名・火□火薬及糧   往其島   論其頭目人   以来   賜麟雨及万衣笠靴」

重要部分を要約すると。
「武陵島(=鬱陵島)周回七息。傍らに小島有り、その田五十余結ばかり。
入所の路わずかに一人を通じて並行すべからず。
昔、これに方たりて(わたりて)用いる者有り、十五家を率いて入居す。
或る時、倭を仮り、寇を為す
(中略)
三陟の人、前の万戸金麟雨を召し、麟雨を以て武陵等処の安撫使と為す」

ここからは、金麟雨が按撫使に命ぜられた事と、朝鮮政府は、武陵島(=鬱陵島)の傍らには、小島があって、それらの島には15家族が入居していると、認識していたことが解る。
(大宗実録十七年八月条では、大宗十六年9月条と同じ世帯数の「凡そ十五口」八十六名の男女を連れ去っている)

後に、安龍福が鬱陵島の「北東に当たり大きなる島これ有り」、「彼島を存じたる者申候は、于山島と申し候」と言い、
十九世紀に李奎遠が「松竹、于山島等の小島僑寓の諸人みな傍近の小島を以て之に当て」たと伝えたように、
その于山島は鬱陵島の北東に位置する現在の鬱陵島道洞里竹島として良いんじゃないか。

何故なら、その島の上に至るには、実際に「入所の路わずかに一人を通」ずる険しい路を登らなければならないし、
李奎遠が、「その産ずるところは則ち檀香と簡竹」と復命したように梅檀や大竹が生えていたからである。

これら『大宗実録』の記事から、鬱陵島の傍らに、于山島と呼ばれる小島があり、その小島には大竹や苧麻が自生していて、86名もの男女が生活していた時事が確認出来る。

したがって、『50余結』の生産が可能な土地を持つ「世宗実録『地理志』」の于山島は、今の竹島(独島)ではないことを言うまでもないな。
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