韓国式対人関係、濃厚ですね・・・(2)
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2007/09/21 00:03 投稿番号: [6110 / 7270]
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よく日本人は韓国人を人情の民族だという。韓国に出向いたときにとても良くしてくれるのでそう思うのである。
しかしこれには反対給付がともなわなければならない。
むこうが来たときには同じような歓待があることが前提にされているのである。
なぜならば、彼の地では他人との間に絶望的な亀裂があるので、お互いにそうしなければ信頼関係が保てないのである。
先方が良くしてくれた分だけ、あるいはそれを越える心遣いがない限り信頼関係が築けない社会なのである。
一言でいえば、人間関係において、密着か疎遠かのどちらかの態度しかとれないこと。これが韓国人の人づきあいの基本である。
つかず離れずという関係にはなかなかなれない。粘着か反発か、ねっとりした一体感か両者はぜるような異物感か、どちらかである。
もともと他者との亀裂が驚くほど深いのだ。のぞけばめまいのするような深さである。
翻って目を世界に転ずれば、他者との亀裂の深さは朝鮮民族のみではない。
しかし、そうした場合にも、契約とか信用、あるいは約束という釣橋が危うげながらかかっているものである。
釣橋を一方的に切り落とせば、それなりの制裁もあるだろう。しかし、韓国人は違う。不特定多数との約束など一度や二度破っても構わない。
事業に失敗すれば社会的に一応それなりの打撃はあるが、濃厚なる友人関係を別処に保ってさえいれば、友人は彼をかばい、そして援助するであろう。
ただこのシステムは非常に不安定であり、たえず愛情エネルギーを充填しておかないと、すぐに作動しなくなる可能性がある。
華僑の父の代の「信」のように継承性をもたないし、日本の長年の「義理」のように長期の見通しもない。
不断に濃厚な「迷惑」の愛情をかけあうこと。それが基本である。
これを本書ではピエタス・インプット(情注入)と仮に呼ぶとしよう。
システムが不安定なので、彼ら同士でいつも不安で、ピエタス・インプットで休むいとまがない。韓国人は毎日たくさんの人に会う。用もないのにやって来ては茶を飲み、ともに食事をする。
消化しきれず、いきつけの喫茶店に全部個別の知り合いを集めておいて、ボックスを飛び回っているものもいる。
〜中略〜
なぜこのようなことになっているのかといえば、それは本質的に自分の血族しか信じられないという親族内倫理を、そのまま無媒介に社会全体に広げようとするからである。
親族に近い擬制が可能である関係ほど信頼が増し、遠ざかるほど亀裂は深まる。
〜続く〜
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よく日本人は韓国人を人情の民族だという。韓国に出向いたときにとても良くしてくれるのでそう思うのである。
しかしこれには反対給付がともなわなければならない。
むこうが来たときには同じような歓待があることが前提にされているのである。
なぜならば、彼の地では他人との間に絶望的な亀裂があるので、お互いにそうしなければ信頼関係が保てないのである。
先方が良くしてくれた分だけ、あるいはそれを越える心遣いがない限り信頼関係が築けない社会なのである。
一言でいえば、人間関係において、密着か疎遠かのどちらかの態度しかとれないこと。これが韓国人の人づきあいの基本である。
つかず離れずという関係にはなかなかなれない。粘着か反発か、ねっとりした一体感か両者はぜるような異物感か、どちらかである。
もともと他者との亀裂が驚くほど深いのだ。のぞけばめまいのするような深さである。
翻って目を世界に転ずれば、他者との亀裂の深さは朝鮮民族のみではない。
しかし、そうした場合にも、契約とか信用、あるいは約束という釣橋が危うげながらかかっているものである。
釣橋を一方的に切り落とせば、それなりの制裁もあるだろう。しかし、韓国人は違う。不特定多数との約束など一度や二度破っても構わない。
事業に失敗すれば社会的に一応それなりの打撃はあるが、濃厚なる友人関係を別処に保ってさえいれば、友人は彼をかばい、そして援助するであろう。
ただこのシステムは非常に不安定であり、たえず愛情エネルギーを充填しておかないと、すぐに作動しなくなる可能性がある。
華僑の父の代の「信」のように継承性をもたないし、日本の長年の「義理」のように長期の見通しもない。
不断に濃厚な「迷惑」の愛情をかけあうこと。それが基本である。
これを本書ではピエタス・インプット(情注入)と仮に呼ぶとしよう。
システムが不安定なので、彼ら同士でいつも不安で、ピエタス・インプットで休むいとまがない。韓国人は毎日たくさんの人に会う。用もないのにやって来ては茶を飲み、ともに食事をする。
消化しきれず、いきつけの喫茶店に全部個別の知り合いを集めておいて、ボックスを飛び回っているものもいる。
〜中略〜
なぜこのようなことになっているのかといえば、それは本質的に自分の血族しか信じられないという親族内倫理を、そのまま無媒介に社会全体に広げようとするからである。
親族に近い擬制が可能である関係ほど信頼が増し、遠ざかるほど亀裂は深まる。
〜続く〜
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これは メッセージ 6109 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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