「被害者意識の暴力性」
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2007/08/29 01:18 投稿番号: [6033 / 7270]
被害者意識のもつ「暴力性」というものについて、心して考えてみなければならないということですね。
(場合によっては、「被害者」を「弱者」に置き換えても成り立つのだろうなと思ったです)
↓「韓国、ひき裂かれるコスモス(小倉紀藏)」あとがきより
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1990年代の中葉の事だったが、当時私が学んでいた韓国のソウル大学校に、
外国のさる著名な教授が来て講演した事がある。
その教授の輝かしい世界的な名声の吸引力によって、
巨大な講堂は学生で溢れ、充満する熱気は凄まじいばかりのものであった。
講演が終わり、質疑応答の時間になった。
講堂の最後方にいた学生が質問を始めた。
その声は明らかに学生運動の経験を宿していた。
使用される語彙、語調の全てが悲愴なまでの他者攻撃性に彩られる。
学生は、かつて「日帝」が植民地支配を通して行った朝鮮文化に対する破壊、
日本文化の強要などに関して、糾弾調で高らかに演説し、
最後に、このような韓国の悲劇に対してのコメントを教授に求めた。
著名な教授は、「オリエンタリズム」の提唱者であり権威なのだった。
質問者はその彼に「ウリ(われら=韓国人)」の被抑圧性を慰撫してもらい、
「日帝」の悪逆性をあげつらってもらいたかったのであろう。
このような対話形式の強要は、ある種の韓国人にとって何ら不自然なものではない。
すなわち、言説の根元的既定性とでもいおうか、自らが期待する言葉しか語らせない、
そのような対話の装置が、被抑圧者と自己規定する者には往々にして備わっているものである。
さて、その学生の質問が終わるや、場内には異様な空気が漂ったのを私は感じた。
ふと壇上を見ると、そこに立つ外国の教授は、
私の観察が間違いでなければ、興奮を抑えているかのようであった、
あの穏やかな語り口の知の巨人が、突然、激しい口調に変わったので、
場内は一瞬、虚をつかれたようになった。
あなた方は「抹殺」という。
日本によって朝鮮の文化から国家までことごとく「抹殺」されたのだという。
あなた方は「抹殺」だというものがどんなものだかご存じだろうか。
パレスチナの民をあなたは知っているか。
国がない、ということがどんなことだか、あなたがたはご存じであろうか。
あなた方には過去は知らず、今は「韓国」という国がある。
あなだがたの文化も充分残っている。
あなたがたは立派にその中に住んでいる。
およそ、このようなことを教授は語ったように記憶している。
そのあまりの決然とした裁断の調子に、講堂を埋めた大観衆は氷のように固まってしまった。
私は、後にも先にも、韓国人が自らの不幸と傷を他者に訴えて、
その知的弛緩をこれほどきっぱりと否定された場面というものを見た事がない。
その学生は、おそらく韓国社会の中で楽天的に
「われわれ」の被抑圧感と悲劇性を語り合うときの知的気楽さで、
その外国の権威者に悲愴な声で語ったのであろう。
教授は学生の心地よい被害者意識の「暴力性」を敏感に感受したのではないか。
あなたのそのような言説が、韓国というものの一個性、全体性を暴力的に完成させようとしてしまうのだ、
それこそ、植民地支配者との「共謀」になってしまうのだ、と、私は思った。
植民地支配者と反日者は敵対しているように見えながら、実は相互依存しているのではなかったか。
そして、コスモスとしての一個性を希求する魂が、逆に韓国を引き裂いているのではなかったか。
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(場合によっては、「被害者」を「弱者」に置き換えても成り立つのだろうなと思ったです)
↓「韓国、ひき裂かれるコスモス(小倉紀藏)」あとがきより
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1990年代の中葉の事だったが、当時私が学んでいた韓国のソウル大学校に、
外国のさる著名な教授が来て講演した事がある。
その教授の輝かしい世界的な名声の吸引力によって、
巨大な講堂は学生で溢れ、充満する熱気は凄まじいばかりのものであった。
講演が終わり、質疑応答の時間になった。
講堂の最後方にいた学生が質問を始めた。
その声は明らかに学生運動の経験を宿していた。
使用される語彙、語調の全てが悲愴なまでの他者攻撃性に彩られる。
学生は、かつて「日帝」が植民地支配を通して行った朝鮮文化に対する破壊、
日本文化の強要などに関して、糾弾調で高らかに演説し、
最後に、このような韓国の悲劇に対してのコメントを教授に求めた。
著名な教授は、「オリエンタリズム」の提唱者であり権威なのだった。
質問者はその彼に「ウリ(われら=韓国人)」の被抑圧性を慰撫してもらい、
「日帝」の悪逆性をあげつらってもらいたかったのであろう。
このような対話形式の強要は、ある種の韓国人にとって何ら不自然なものではない。
すなわち、言説の根元的既定性とでもいおうか、自らが期待する言葉しか語らせない、
そのような対話の装置が、被抑圧者と自己規定する者には往々にして備わっているものである。
さて、その学生の質問が終わるや、場内には異様な空気が漂ったのを私は感じた。
ふと壇上を見ると、そこに立つ外国の教授は、
私の観察が間違いでなければ、興奮を抑えているかのようであった、
あの穏やかな語り口の知の巨人が、突然、激しい口調に変わったので、
場内は一瞬、虚をつかれたようになった。
あなた方は「抹殺」という。
日本によって朝鮮の文化から国家までことごとく「抹殺」されたのだという。
あなた方は「抹殺」だというものがどんなものだかご存じだろうか。
パレスチナの民をあなたは知っているか。
国がない、ということがどんなことだか、あなたがたはご存じであろうか。
あなた方には過去は知らず、今は「韓国」という国がある。
あなだがたの文化も充分残っている。
あなたがたは立派にその中に住んでいる。
およそ、このようなことを教授は語ったように記憶している。
そのあまりの決然とした裁断の調子に、講堂を埋めた大観衆は氷のように固まってしまった。
私は、後にも先にも、韓国人が自らの不幸と傷を他者に訴えて、
その知的弛緩をこれほどきっぱりと否定された場面というものを見た事がない。
その学生は、おそらく韓国社会の中で楽天的に
「われわれ」の被抑圧感と悲劇性を語り合うときの知的気楽さで、
その外国の権威者に悲愴な声で語ったのであろう。
教授は学生の心地よい被害者意識の「暴力性」を敏感に感受したのではないか。
あなたのそのような言説が、韓国というものの一個性、全体性を暴力的に完成させようとしてしまうのだ、
それこそ、植民地支配者との「共謀」になってしまうのだ、と、私は思った。
植民地支配者と反日者は敵対しているように見えながら、実は相互依存しているのではなかったか。
そして、コスモスとしての一個性を希求する魂が、逆に韓国を引き裂いているのではなかったか。
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これは メッセージ 5985 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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