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Re: >パネリストはそれくらいの知識はあ

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/03/14 08:03 投稿番号: [5474 / 7270]
>日本非難が好きなはずの左翼陣営も、もし十分な知識があった上で語らないなら、そのほうが自分らにとって有利と判断しているからでしょう。

前の投稿は少しいい加減な推論だったので、改めて考えてみました。

戦後の日本の左翼の論理は、

『客観的な知識を教えるよりもまずは感情的な語を鼓舞し、そのあとでそれに見合う事実が羅列されていくという状況だったのだ。「戦争を起こしたトージョーヒデキらの軍部指導者は悪い人」という語があり、その次に原爆でいかに多くの人が傷ついたか、戦争中には”良心的な人びと”がどれほどむごい弾圧を受けたか、が補完されていく。』(「昭和良識派の研究」保坂正康)

というように、「日本の政治・軍部指導者は悪い。一般の兵士・国民(労働者)は被害者」という二分法の階級史観でした。
これは、現在の共産主義の中国の主張でもあります。
「鬼のような日本兵も軍国主義の被害者」と中国共産党は洗脳・宣伝しております。

当然、慰安婦問題を考える場合、日本人と他のアジア諸国の人を区別する理由はありません。
ともに、日本の政治・軍部指導者の被害者となります。

しかし、アジアの戦争被害者を持ち出す場合、韓国では、「日本人も被害者」という論理は認めません。
例えば、日本の空襲被害者・原爆被害者でも、当然に受ける報いだと主張しています。
野坂昭如原作の「火垂るの墓」でさえ、「加害者としての日本人」を消し去るものだと批判します。
韓国人慰安婦にとって直接的な加害者は日本の官憲であり日本兵であり、暴虐の限りを尽くしたことになっております。

つまり、永遠の被害者である韓国人は、日本人全般に加害者意識を植え付ける戦略・論法です。
日本の被害者とアジアの被害者とを同列に論じる日本のサヨクの論理が使えないのです。
日本のサヨクが韓国と連帯する場合(韓国人被害者が論点となる場合)、「韓国人被害者」だけを強調し、「日本人被害者」を無視する必要があります。

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姜尚中

討論に参加して感じ考えたこと

  番組を終えて痛感したのは、新しい世紀になっても依然として前世紀の戦争の記憶に縛られている日本とアジアの現実の重さである。「未来志向」の美辞麗句をどんなに連ねても、戦争の記憶の重さがそれを許さないことにあらためて気づいた次第である。
  しかしここで考え直してみたいのは、果たして戦後の日本は、戦争の悲惨な現実にどんな責任をとろうと真剣に考え、苦闘してきたのか、ということである。厭戦気分がどんなに痛切であったとしても、やはり「他者」としてのアジアの多くの民衆を蹂躙した経験を我が身の悲惨に照らして追体験するよりは、ヒロシマ、ナガサキの記憶や満州引き揚げ、シベリア抑留など、戦争の結末がもたらした「被害者意識」の痛切さがなによりも際立っていたのではないか。その上、敗戦と占領体験が加わり、「被植民地化」に似た、あるいはそのよりももっと屈折し鬱積した「被害者意識」が蔓延し、そして戦後もそのトラウマをもたらした米国という「厳父」に逆らえない「息子」のいじましいほどのコンプレックスが近隣のアジア諸国に吐き出されている気がしてならない。
  日本の戦争を見直すとは、とりもなおさずそうした自分たちのねじれた意識――より上位の力に「被虐」的でありながら、足下の近隣諸国には「加虐」的で横柄な態度をとることを恥じない両義的な姿勢――を問い直すことでなければならない。しかし実際にはますますそうした自民族中心的な居直りが強くなっているように見受けられてしかたがない。しかもそれは結局より上位の権力に従属せざるをえないのであるから、表面の強がりとは裏腹に「従属的ナショナリズム」としかいいようのない代物である。たとえ、「ノーといえるニホン」と叫んでみても、その内実は変わっていないのである。そこに新しい世紀を迎えても、依然として新しい展望を開くことができない日本のジレンマがある。
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