Re: >パネリストはそれくらいの知識はあ
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/03/14 00:57 投稿番号: [5473 / 7270]
>日本非難が好きなはずの左翼陣営も、もし十分な知識があった上で語らないなら、そのほうが自分らにとって有利と判断しているからでしょう。
当時日本に働きに来ていた朝鮮人もいるはずですし、左翼陣営も日本人慰安婦に触れませんね。
やはり、日本の調査が行き届かない韓国などの外国の話を利用する方が攻撃しやすいとは言えますね。
でも、本当の理由はよく分かりません。どうしてなんでしょう?
「慰安婦」の全体構造を語る上では、必要なことですけど。
実態は知りませんが、悪名高い捏造の千田の本でさえ、「千円の支度金」というのが出てきます。
普通の売春宿では考えられない、当時としては大金ですし、年季奉公が明けて帰国できたなど高待遇のケースの多かったと思います。
また、慰安婦は、貧乏のため親に売られて覚悟ができていた。
または、すでに売春婦として働いていて本人の意思による者に限られます。
それと、日本人慰安婦の場合、お国のため、日本軍の男子のためという意思があり、日本兵と「情を通わせ、結婚を約束する」話はよく聞きます。
結局、「強制連行」や「性奴隷」というイメージに合わない証言ばかりではないでしょうか。
--------------------------------
「従軍慰安婦・慶子」千田夏光著 昭和56年11月30日光文社刊。
<慶子は>『英彦山(ひこさん)西麓の村で十一人兄弟の長女として生まれたが、十七歳のとき、「もうこれ以上は養えない、すまんが女中奉公にでもいくつもりで行ってくれ」零細農業の父親に言われたのである。六畳、四畳半二間の家で母親が十二人目をみごもったときであった。「そのかわり、すぐ身軽になれるよう、借金は二十円だけにしておくからな」と言われたのだった。昭和八年のことである。』(16頁)
『金必連は、五年前の昭和七年の十二歳のとき朝鮮から両親に連れられ兄弟とともに嘉穂にきた。嘉穂は福岡県内でも指折りの炭鉱だが、父はそこで炭鉱員に、母は雑役婦に、弟や妹は幼いから家にいたが、自分は独身炭鉱員の飯場で炊事洗濯をしていた。』(85頁)
『こんな飯場で炭鉱員の飯炊きや洗濯をしていても月五円五十銭か、せいぜい七円だ。支那大陸にいくと戦場の兵隊たちに同じことをしてやるだけで千円の支度金が貰え、月々家に仕送りができる銭の入る仕事がある、どうだ行って働いてみないか、と<炭鉱の親方から>言われたと言うのである。
その条件に加え、三食たっぷり食事がつき、着る物の心配もいらない。女らしい物を着せてくれるというので、その場で応募したと言うのだ。
「応募したことを話し、千円渡したらお父さんは、あんたになんと言った?」
<と慶子が金必連に>たずねたら、
「サキ言ウタミタイニ、ハチメ腰ヌカシ、ピクリシタケト、シパラクシテ、涙ポロポロ出シテ泣イタヨ、泣イテ喜ンテクレタノヨ」
父親はそんな娘の話をきいて、そんなうまい話があるはずはない。兵隊の炊事や洗濯するだけの仕事で、いくら戦場とはいえ千円もの支度金をくれるはずがない。これは兵隊のなぐさみものにされるのだとすぐわかったはずだ。涙は悲しみの涙だ、ウチが家を出るとき母親が流したのと同じ涙だと慶子は思った。』
『うまく話しをもちかけ言いくるめれば親も「いい口べらしの話がもちこまれた」と、その場で娘を連れていくことを承知するだろう。』(89〜91頁)
当時日本に働きに来ていた朝鮮人もいるはずですし、左翼陣営も日本人慰安婦に触れませんね。
やはり、日本の調査が行き届かない韓国などの外国の話を利用する方が攻撃しやすいとは言えますね。
でも、本当の理由はよく分かりません。どうしてなんでしょう?
「慰安婦」の全体構造を語る上では、必要なことですけど。
実態は知りませんが、悪名高い捏造の千田の本でさえ、「千円の支度金」というのが出てきます。
普通の売春宿では考えられない、当時としては大金ですし、年季奉公が明けて帰国できたなど高待遇のケースの多かったと思います。
また、慰安婦は、貧乏のため親に売られて覚悟ができていた。
または、すでに売春婦として働いていて本人の意思による者に限られます。
それと、日本人慰安婦の場合、お国のため、日本軍の男子のためという意思があり、日本兵と「情を通わせ、結婚を約束する」話はよく聞きます。
結局、「強制連行」や「性奴隷」というイメージに合わない証言ばかりではないでしょうか。
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「従軍慰安婦・慶子」千田夏光著 昭和56年11月30日光文社刊。
<慶子は>『英彦山(ひこさん)西麓の村で十一人兄弟の長女として生まれたが、十七歳のとき、「もうこれ以上は養えない、すまんが女中奉公にでもいくつもりで行ってくれ」零細農業の父親に言われたのである。六畳、四畳半二間の家で母親が十二人目をみごもったときであった。「そのかわり、すぐ身軽になれるよう、借金は二十円だけにしておくからな」と言われたのだった。昭和八年のことである。』(16頁)
『金必連は、五年前の昭和七年の十二歳のとき朝鮮から両親に連れられ兄弟とともに嘉穂にきた。嘉穂は福岡県内でも指折りの炭鉱だが、父はそこで炭鉱員に、母は雑役婦に、弟や妹は幼いから家にいたが、自分は独身炭鉱員の飯場で炊事洗濯をしていた。』(85頁)
『こんな飯場で炭鉱員の飯炊きや洗濯をしていても月五円五十銭か、せいぜい七円だ。支那大陸にいくと戦場の兵隊たちに同じことをしてやるだけで千円の支度金が貰え、月々家に仕送りができる銭の入る仕事がある、どうだ行って働いてみないか、と<炭鉱の親方から>言われたと言うのである。
その条件に加え、三食たっぷり食事がつき、着る物の心配もいらない。女らしい物を着せてくれるというので、その場で応募したと言うのだ。
「応募したことを話し、千円渡したらお父さんは、あんたになんと言った?」
<と慶子が金必連に>たずねたら、
「サキ言ウタミタイニ、ハチメ腰ヌカシ、ピクリシタケト、シパラクシテ、涙ポロポロ出シテ泣イタヨ、泣イテ喜ンテクレタノヨ」
父親はそんな娘の話をきいて、そんなうまい話があるはずはない。兵隊の炊事や洗濯するだけの仕事で、いくら戦場とはいえ千円もの支度金をくれるはずがない。これは兵隊のなぐさみものにされるのだとすぐわかったはずだ。涙は悲しみの涙だ、ウチが家を出るとき母親が流したのと同じ涙だと慶子は思った。』
『うまく話しをもちかけ言いくるめれば親も「いい口べらしの話がもちこまれた」と、その場で娘を連れていくことを承知するだろう。』(89〜91頁)
これは メッセージ 5472 (kuuboakagi00 さん)への返信です.
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