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>鮮支国境・馬賊

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/02/25 03:47 投稿番号: [5284 / 7270]
>こういうのは事例になりそうですか?

質問の主題が分かりませんが、一応。
ここでテーマになっているのは、韓国側が主張する「日本による侵奪」の具体的事例だと思います。
示されたのは、日本の警察権によって、朝鮮半島北部では馬賊が掃討され、治安が安定し、住民が安心して暮らせるようになったという事案ですね。

>>金日成は単なる匪賊、馬賊の総大将は「張作麟元帥」だったそうです。

中朝国境地帯(満州・中国の地方も)は、馬賊・匪賊の巣窟でした。
なぜなら、特亜では警察権・軍事権が及ぶのは都市部だけで、国境地帯や県境というのは、無法地帯、泥棒の根城でしたから。
地方では、逆に馬賊が用心棒的な警察・軍隊の役目を負っているのです。
馬賊・匪賊は、特亜だけのこの統治制度による特有の存在です。

それで日韓併合以前から、中国から鴨緑江を越えてくる馬賊(別名緑営とも呼ばれていた)に朝鮮半島北部は悩まされておりました。
それを韓国・北朝鮮では抗日パルチザンと呼んで称えておりますが(爆)、その中でソ連から軍資金を貰ってお抱えとなった抗日工作員の頭目の一人が金日成であります。(笑)

しかし、たちまち日本の警察と軍の活躍により、北朝鮮北部の治安は保たれたのですね。
これで朝鮮北部の住民も安心して暮らせるようになったのであります。
この地帯の独立地下運動家というのは、馬賊・匪賊あがりのソ連の抗日ゲリラが大半だったようです。
といっても、大した活動はありません。
北朝鮮は馬賊の頭目が盗んだ国であります。

馬賊掃討、青山里戦闘
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E9%87%8C%E6%88%A6%E9%97%98


例えば、中国の張作霖の経歴を見れば、その頃の雰囲気が分かると思います。
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  張作霖の祖先は、道光初年の大飢饉のとき、直隷省河問府を逃げ出した流民で、山海関をへて奉天省海城県家掌寺村にいり貧農として細々たつきの煙を上げていた。作霖の父は、百姓を嫌って賭博にふけり、ときには草賊の一味に加わって近くの村々を荒しまわる無職者であった。

  作霖はその次男として生まれ、十六歳のとき、近村の図河墾の田舎宿に小僧にやられ、まもなく博徒の群れに身を投じ、二十才になってから騎兵大隊長趙得勝の従卒となり、まじめに勤めていたが、ふとしたことから馬賊の仲間にはいり、遼西馬賊の大親分董大虎の子分として、団匪事件のときには早くも三十余名の手下を持つまでにのし上げていた。第一夫人の趙氏は、このころ彼が掠奪した新民府下の趙家の令嬢で、張学良はその趙小姐との間に生まれた運命の子であった。

  このころの兄弟分に張作相(吉林省督弁)や、張景恵(満州国国務総理)があるのも、満州らしくて面白い。光緒二十九年、みずから感ずるところあって、緑林生活を清算し、二百名の部下を騎兵一中隊に編成してその隊長となり、その後は、順風に帆をあげて第二十七師長から陸軍中将、つぎに奉天督軍兼奉天省長・東三省(奉天、吉林、黒竜江)巡閲使・蒙彊経略使をへて昭和二年六月、中国陸海軍大元帥に就任、北は黒竜江から南は揚子江におよぶ茫漠たる天地に彼の威令が行なわれるにいたった。
森   正蔵著 『旋風二十年(復刻版)』より。
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