Re: 「ニューライトが教科書案公開」
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/12/02 00:24 投稿番号: [4712 / 7270]
>>1980年の「ソウルの春」については、「霧の政局が、1980年の春、大学のキャンパスに大規模なデモを引き起こし、結果的に強硬派の軍部の介入の口実を提供した」と書いた。
>>「5・18光州(クァンジュ)民主化運動」も、「5・18光州民主化抗争」と表現し、発生原因は、「発展と中央権力からの疎外が累積したうえ、同地域出身の政治家である金大中(キム・デジュン)氏の逮捕の知らせが、市民の怒りを引き起こしたため」と記述した。
79年10月26日 朴大統領暗殺。
79年12月12日 「粛軍クーデター」事件。全斗煥など一心会(ハナフェ)の中堅将校が実力行動。大統領の裁可なしに戒厳司令官鄭昇和を逮捕。第9師団長盧泰愚少将は、ソウル近郊に駐屯する第90連隊を市内に進出させ、陸軍本部を制圧。
80年
5月02日 ソウル大学で戒厳令解除要求の大集会。「ソウルの春」
5月07日 金大中・尹ふ善ら、民主化促進宣言。
5月16日 学生デモにより、ソウル市内中心部は騒乱状態となる。
5月18日 全国非常戒厳令公布。すべての政治活動が禁止され、大学は無期限休校。金大中らが逮捕される。
5月18日 光州事件が始まる。金大中逮捕に抗議する抗議集会に数十万人が決起。軍部は空輸第二旅団1200人を投入、一斉検挙に乗り出す。
5月21日 市民・学生が羅州の武器庫を襲撃し武器を奪う。道庁が一目で見下ろせる全南大学医学部の12階屋上に、2門のLMG(重機関銃)を設置。
5月27日 光州事件、韓国軍が鎮圧。多数の死傷者が出る。
8月16日 崔圭夏、大統領を辞任。
8月27日 統一主体国民会議が招集され、全斗煥を第11代大統領に選出。
光州事件を金大中の出身地だけでなく、地域対立が一因と考えるのは面白いですね。
――朴大統領の出身地である慶尚北道の大邱市や慶州周辺に多額の予算が投入される一方、光州市など全羅道は、予算配分でも就職など社会においても、様々な差別があったことも、地域対立の原因である――
この事件は、軍事政権VS民主化運動の対決という構図で語られますが、民主化運動家の中には北の工作員やそのシンパが大勢入り込んでおり、単純な民主化運動とは言い切れません。
特に光州事件では、道庁を占拠した市民が重機関銃などを奪い、武装してしまいました。
つまり、反体制武装闘争に発展。北の工作員の暗躍が伺われます。
その意味で、民主化運動というのは、国家転覆の危険をはらんでいました。
勿論、純粋な市民も沢山いたことは確かでしょう。
しかし、これを即座に鎮圧しないと、韓国は内乱状態になりかねない。
そこで、北の南進やテロを心配する在韓米軍も、全斗煥を支持し韓国の沈静化を望んだという訳です。
米国は朴正熙に対して常に民主化を求めていたので、民主化運動家の米国への期待が大きかった。
そのため、この頃から米国に失望した多くの民主化運動家は、民族色を強め、親北反米へと傾斜していきます。
すなわち、韓国の民主化運動が屈折していくキッカケ、あるいは一部ではすでに親北民族主義に屈折していたと思われる事件です。
そして、現政権担当者の多くは、この時代の左翼民主化運動家出身ですね。
現在の無能ぶりを考えると、民主化運動の実質に厳しい評価は当然だと思います。
この危機を乗り切った全斗煥は、朴正熙の手法を使いながら、韓国を発展させていきます。
81年3月03日 全斗煥、改正憲法の下に7年単任制の大統領に就任。
9月30日 88年のオリンピック開催地がソウルに決定。
82年1月06日 一部地域を除いて夜間外出禁止令が解除される。独立以来34年ぶり。
83年1月11日 中曾根首相が韓国を訪問し全斗煥大統領と会談。対韓経済協力40億ドルで合意。
10月09日 ラングーンでアウンサン廟爆破事件。
>>「5・18光州(クァンジュ)民主化運動」も、「5・18光州民主化抗争」と表現し、発生原因は、「発展と中央権力からの疎外が累積したうえ、同地域出身の政治家である金大中(キム・デジュン)氏の逮捕の知らせが、市民の怒りを引き起こしたため」と記述した。
79年10月26日 朴大統領暗殺。
79年12月12日 「粛軍クーデター」事件。全斗煥など一心会(ハナフェ)の中堅将校が実力行動。大統領の裁可なしに戒厳司令官鄭昇和を逮捕。第9師団長盧泰愚少将は、ソウル近郊に駐屯する第90連隊を市内に進出させ、陸軍本部を制圧。
80年
5月02日 ソウル大学で戒厳令解除要求の大集会。「ソウルの春」
5月07日 金大中・尹ふ善ら、民主化促進宣言。
5月16日 学生デモにより、ソウル市内中心部は騒乱状態となる。
5月18日 全国非常戒厳令公布。すべての政治活動が禁止され、大学は無期限休校。金大中らが逮捕される。
5月18日 光州事件が始まる。金大中逮捕に抗議する抗議集会に数十万人が決起。軍部は空輸第二旅団1200人を投入、一斉検挙に乗り出す。
5月21日 市民・学生が羅州の武器庫を襲撃し武器を奪う。道庁が一目で見下ろせる全南大学医学部の12階屋上に、2門のLMG(重機関銃)を設置。
5月27日 光州事件、韓国軍が鎮圧。多数の死傷者が出る。
8月16日 崔圭夏、大統領を辞任。
8月27日 統一主体国民会議が招集され、全斗煥を第11代大統領に選出。
光州事件を金大中の出身地だけでなく、地域対立が一因と考えるのは面白いですね。
――朴大統領の出身地である慶尚北道の大邱市や慶州周辺に多額の予算が投入される一方、光州市など全羅道は、予算配分でも就職など社会においても、様々な差別があったことも、地域対立の原因である――
この事件は、軍事政権VS民主化運動の対決という構図で語られますが、民主化運動家の中には北の工作員やそのシンパが大勢入り込んでおり、単純な民主化運動とは言い切れません。
特に光州事件では、道庁を占拠した市民が重機関銃などを奪い、武装してしまいました。
つまり、反体制武装闘争に発展。北の工作員の暗躍が伺われます。
その意味で、民主化運動というのは、国家転覆の危険をはらんでいました。
勿論、純粋な市民も沢山いたことは確かでしょう。
しかし、これを即座に鎮圧しないと、韓国は内乱状態になりかねない。
そこで、北の南進やテロを心配する在韓米軍も、全斗煥を支持し韓国の沈静化を望んだという訳です。
米国は朴正熙に対して常に民主化を求めていたので、民主化運動家の米国への期待が大きかった。
そのため、この頃から米国に失望した多くの民主化運動家は、民族色を強め、親北反米へと傾斜していきます。
すなわち、韓国の民主化運動が屈折していくキッカケ、あるいは一部ではすでに親北民族主義に屈折していたと思われる事件です。
そして、現政権担当者の多くは、この時代の左翼民主化運動家出身ですね。
現在の無能ぶりを考えると、民主化運動の実質に厳しい評価は当然だと思います。
この危機を乗り切った全斗煥は、朴正熙の手法を使いながら、韓国を発展させていきます。
81年3月03日 全斗煥、改正憲法の下に7年単任制の大統領に就任。
9月30日 88年のオリンピック開催地がソウルに決定。
82年1月06日 一部地域を除いて夜間外出禁止令が解除される。独立以来34年ぶり。
83年1月11日 中曾根首相が韓国を訪問し全斗煥大統領と会談。対韓経済協力40億ドルで合意。
10月09日 ラングーンでアウンサン廟爆破事件。
これは メッセージ 4711 (trip_in_the_night さん)への返信です.
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