初心者のための日韓議論場

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 「青少年のための我が歴史の正しい見方

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/10/02 00:41 投稿番号: [4552 / 7270]
質問を受けて、ウ教授は次のように説明した。
<三田渡条約はさっき述べたように、清国が朝鮮を武力で屈服させた結果、締結した条約です>
<第1に、朝鮮は清に君臣の礼をとる。第2に朝鮮は明の年号を捨て、明との通交を絶ち、明から受けた封印を返納する。第3に朝鮮王の長子と第二子を人質に送る。第4に使節派遣は明の礼に従う。第5、清が明を征伐するときは援兵を送るなどです>
<松坡区に残っている碑は、清が仁祖の降伏を受け、自分の功徳を自慢するために立てさせたものです>(32ページ)
このあたりの歴史的いきさつは、「韓国   堕落の2000年史」(崔基鎬著、祥伝社文庫)あたりに詳述されていることもあって、日本でも知る人ぞ知る話である。しかし、韓国の学校教育では必ずしもそうでもなかった。
ところが、ここにきて韓国にとっては不名誉な三田渡条約も、学会と新聞社が主催する「歴史講座」で言及される歴史的事実となってきたのである。

韓国の場合、これまで、韓国史の叙述は「反日」「自主」を基調とした民族主義史観で事足りていた。ところが最近、中国の台頭と並行して、高句麗論争など「歴史認識」の対立が中韓間でも起きてきた。そうなると、中韓関係史への視線もいささか変化が現れてきたということだろう。
バランス感覚のある国際関係史を学ぶために、大いに結構なことだと思う。「国際社会における韓国の位置を正確に理解する」。ウ教授が講義の冒頭で強調した姿勢は、むしろ、韓国の現政権にこそ必要なものではないだろうか。

「三田渡の碑」の裏面。漢字で「大清皇帝功徳碑」と書いてある   「三田渡の碑」を先だって、見に行ってきた。
地下鉄8号線の「石村」(ソクチョン)駅で降りて、大通りに沿い、石村洞事務所方向に西へ歩く。コンビニの角を左に折れて、約100メートルほど進むと、左側に子ども広場がある。「三田渡の碑」は、その奥の公園にひっそりと立っていた。
台座に上に碑身があり、資料によると高さ5・7メートル、幅1・4メートル、奥行き39・5センチ。前左側が蒙古文、右側が満洲文。裏面が漢文で「大清皇帝功徳碑」と書かれている。
近くに1982年に文化財管理局によって作られたレリーフがある。
レリーフ「三田渡の屈辱」   その模様は、清の太宗(ホンタイジ)の陣地があった三田渡の受降壇で、仁祖が清の太宗に対して三跪九叩頭の礼(三度ひざまずき、九度頭を地にこすりつける)を行い、清皇帝を公認する誓いをさせられるという場面である。
「受難の歴史が渦巻くこの場所で、我々はこのような汚濁の歴史が再び繰り返されないよう、民族的自尊を高くし、自主、自強の意志を固く決意しなければならない」
レリーフの文末には、このように書かれていた。1982年当時の全斗煥政権の心意気を示す説明文とも読みとれる。

しかし、このような「深読み」をしたくなるのも、韓国歴史マニアだけなのかもしれない。
公園では若いカップルが長時間、二人だけでバトミントンに興じていた。韓国の「対中屈辱の碑」といった深刻さは、どこにも感じられなかった。

後日、韓国のインターネットサイトで「三田渡」を検索していたら、野党ハンナラ党のスポークス談話が引っかかった。盧武鉉政権の外交政策を批判したくだりである。
「朝鮮の仁祖が清に背を向け、明に追従して”自主国防”を説いていたものの、結局は清から”三田渡の屈辱”を味わった事実を、大統領は明記しなければならない」
「三田渡の屈辱」が、最近、このような文脈で使われていることがわかり、興味深かった。(9月25日)
2006年9月29日
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)