Re: 「ウソをつき通してきたが…」
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/08/28 22:26 投稿番号: [4429 / 7270]
「軍命令は創作」というニュースは産経以外では見ませんね。どうしたのでしょう。
少し前の朝Pの社説です。
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2006/06/23 朝P・社説
沖縄慰霊の日 悲劇と狂気を思い起こす
(前略)
米軍に投降すればいいではないか。自殺することはない。いまの若い人たちはそう疑問を抱くだろう。 宮城さんは「皇民化教育は国のために死を惜しまないことを教えた。集団自決は敵を目前にした住民の必然的な行為で、国に死を強いられた」と語る。さらに住民は「米兵に捕まると、女性は辱めを受ける」などと、「鬼畜米英」の恐ろしさを信じこまされていた。米軍の上陸前、座間味島の住民は約600人だった。集団自決で命を絶った住民は135人にのぼり、その8割が女性や子供だった。
(後略)
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最近の朝Pは用心して、「軍命令による集団自決」とは書いてません。
そこで、「皇民化教育」に「洗脳」されていたと主張し、読者を「洗脳」したいようです。
確かにそう信じて自決した人々がいたことも確かでしょう。
しかし、そこが戦場であることを見落としております。
つまり、米軍から砲撃、銃撃、機銃掃射を浴びて多くの死傷者が出る。
追い詰められ進退窮まった住民や軍人が絶望して、自ら命を絶つという心理も考慮せねばなりません。
そうでないと、逆に生を求めて「生き残った」多くの人たちがいたことの証明ができません。
戦場での生と死への渇望の間で、いかほど「思想」が人間を支配するのかは疑問に思います。
曽野綾子著『「生贄の島」−沖縄女生徒の記録−』は小説仕立てになっておりますが、200人以上の証言を集めたノンフィックションです。
その中に、次のような証言が頻繁に出てきます。
『南風原陸軍病院では、本科二年を卒業したばかりの佐久川ツルがある日、本部の壕の中で、東風平恵位先生に呼びとめられた。
「佐久川」
先生は突然、暗い壕の中でツルを呼んだ。
「はい」
東風平は、武蔵野音大出の若い独身の教師として生徒達の間に人気があった。
「いう機会がなくなるかも知れないから」
彼はいい訳するようにいった。
「君たちは何があっても絶対死んではいかんよ。捕虜になっても生き残りなさい」
それはツルにとって、目を見張るほど静かな言葉だった。ツルがもう少し幼くて、日本の勝利だけを吹き込まされた通りに信じていた下級生だったら、東風平先生は発狂したと思ったかも知れなかった。
「死んでも何もならないよ。生き残れば、それがお国のためになる。わかるね」
「はい」
ツルは、胸の中が燃えるように熱くなるのを覚えたが、それ以上、何もいうことはできないうちに、東風平恵位は、壕の濁った空気の中に消えた。』104P
『「兵隊さん」
石垣節子は呼んだ。
「もうここで死ななくてはダメですか」
彼はおもむろに立って娘たちの真中まで来た。
「ばかなことをしてはいかん」
節子は彼が、滅私奉公の時代は終ったというのを聞いた。生き残って沖縄の再建に尽すことが生徒たちの使命だというのを、節子は不思議な鮮やかさで胸にしみるように感じた。
「手榴弾をおよこし」
彼は生徒たちから二発の手榴弾をとり上げた。』290P
少し前の朝Pの社説です。
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2006/06/23 朝P・社説
沖縄慰霊の日 悲劇と狂気を思い起こす
(前略)
米軍に投降すればいいではないか。自殺することはない。いまの若い人たちはそう疑問を抱くだろう。 宮城さんは「皇民化教育は国のために死を惜しまないことを教えた。集団自決は敵を目前にした住民の必然的な行為で、国に死を強いられた」と語る。さらに住民は「米兵に捕まると、女性は辱めを受ける」などと、「鬼畜米英」の恐ろしさを信じこまされていた。米軍の上陸前、座間味島の住民は約600人だった。集団自決で命を絶った住民は135人にのぼり、その8割が女性や子供だった。
(後略)
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最近の朝Pは用心して、「軍命令による集団自決」とは書いてません。
そこで、「皇民化教育」に「洗脳」されていたと主張し、読者を「洗脳」したいようです。
確かにそう信じて自決した人々がいたことも確かでしょう。
しかし、そこが戦場であることを見落としております。
つまり、米軍から砲撃、銃撃、機銃掃射を浴びて多くの死傷者が出る。
追い詰められ進退窮まった住民や軍人が絶望して、自ら命を絶つという心理も考慮せねばなりません。
そうでないと、逆に生を求めて「生き残った」多くの人たちがいたことの証明ができません。
戦場での生と死への渇望の間で、いかほど「思想」が人間を支配するのかは疑問に思います。
曽野綾子著『「生贄の島」−沖縄女生徒の記録−』は小説仕立てになっておりますが、200人以上の証言を集めたノンフィックションです。
その中に、次のような証言が頻繁に出てきます。
『南風原陸軍病院では、本科二年を卒業したばかりの佐久川ツルがある日、本部の壕の中で、東風平恵位先生に呼びとめられた。
「佐久川」
先生は突然、暗い壕の中でツルを呼んだ。
「はい」
東風平は、武蔵野音大出の若い独身の教師として生徒達の間に人気があった。
「いう機会がなくなるかも知れないから」
彼はいい訳するようにいった。
「君たちは何があっても絶対死んではいかんよ。捕虜になっても生き残りなさい」
それはツルにとって、目を見張るほど静かな言葉だった。ツルがもう少し幼くて、日本の勝利だけを吹き込まされた通りに信じていた下級生だったら、東風平先生は発狂したと思ったかも知れなかった。
「死んでも何もならないよ。生き残れば、それがお国のためになる。わかるね」
「はい」
ツルは、胸の中が燃えるように熱くなるのを覚えたが、それ以上、何もいうことはできないうちに、東風平恵位は、壕の濁った空気の中に消えた。』104P
『「兵隊さん」
石垣節子は呼んだ。
「もうここで死ななくてはダメですか」
彼はおもむろに立って娘たちの真中まで来た。
「ばかなことをしてはいかん」
節子は彼が、滅私奉公の時代は終ったというのを聞いた。生き残って沖縄の再建に尽すことが生徒たちの使命だというのを、節子は不思議な鮮やかさで胸にしみるように感じた。
「手榴弾をおよこし」
彼は生徒たちから二発の手榴弾をとり上げた。』290P
これは メッセージ 4420 (imp_mania_jk さん)への返信です.
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