Re: 戦う相手は誰か
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/07/19 01:41 投稿番号: [4272 / 7270]
>>蒋介石軍と和解しなかった日本の誤算ですね。
>ここなんですよ。なぜ講和が出来ずにずるずるずるずる続くことになったのか?って疑問です。
日本側の強硬意見は、兎亀さんご紹介のサイト「トラウトマン工作」で概略が分かると思います。
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-sina2.html
曰く、第二次上海事件に始まるこの戦争は、対日全面戦争をもくろんだ蒋介石軍の責任であり、首都南京陥落後にも中国は和平に誠意を見せない。
という近衛首相らの強硬論があり、日本軍も蒋介石政府が屈服するまで引くに引けない戦況に陥った。
日本は中国の戦術にはまった、あるいは、中国に対する無知が原因。
(最後の大雑把な理由は、中国を過大評価するとともに、当時の歴史を詳らかにする努力不足です。)
結果として、日本の失敗は米英の利害を尊重し、味方に引き込むことが出来なかった点が大きいですね。
その前に、1937年7月7日盧溝橋事件があって、日本軍も内地から3個師団を増派しますが、紛争拡大か、不拡大かで相当に躊躇して、2度取りやめをしています。
つまり、日本陸軍にも最初から中国への侵攻計画はなく、そのまま停戦もありえた(勿論、拡大派はいますが)。
しかし、20日過ぎ、蒋介石が「関頭演説」――「最後の関頭に立ち至れば抗戦も辞さず」の演説をやって非常に強硬になってきた。
なぜなら、蒋介石軍及び中共軍は、対日全面戦争を企図していたからです。
上海ー南京ラインにドイツ軍の指導を受けた要塞等を築き、蒋介石軍数十万の集積が完了し、8月13日に攻撃を開始します(第二次上海事件、その年の12月の南京陥落まで続く)。
その前に、7月28、29日の2日間で日本軍は北平(北京)・天津地方を占領します。
では、中国側の事情はというと、蒋介石自身は、トラウトマン和平案に同意していました。
しかし、この政府の中には、国共合作により、共産党員も入っており、スパイや工作員が暗躍していました。
この状況で、蒋介石は日本との和平案を締結する責任を逃れ、回答しないまま行政委員長を辞職してしまいます。
この後、ドイツの援助を失った蒋介石軍に武器を提供したのは、ソ連です。
つまり、日本との全面戦争、後方かく乱を目論むソ連と中共のハナ薬が効いていたと言えましょう。
しかも、日本軍の侵攻で、米英は中国利権を失いました。
米英は停戦仲介者になるのではなく、重慶の蒋介石軍を後援し、ようやく蒋介石軍は長期持久戦の体制を固め、泥沼の支那事変へ(蒋介石、再び共産党の袂を分つ)。
やがて日米英の直接対決へと発展。という図式だと思います。
--------------------------------------------
昭和6年満州事変勃発。
昭和7年満州国、建国宣言。
昭和8年日中軍、熱河省で衝突。
昭和10年梅津・何応欽協定。土肥原・秦徳純協定。
昭和11年西安事件。蒋介石、張学良に監禁さる。
昭和12年盧溝橋事件。支那事変勃発。
通州事件。第二次上海事件。第二次国共合作成立。日本軍、南京占領。
昭和13年トラウトマン工作打ち切り。近衛首相、「国民政府を対手とせず」の声明発表。
日本軍、徐州・広東・武漢三鎮を占領。
>ここなんですよ。なぜ講和が出来ずにずるずるずるずる続くことになったのか?って疑問です。
日本側の強硬意見は、兎亀さんご紹介のサイト「トラウトマン工作」で概略が分かると思います。
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-sina2.html
曰く、第二次上海事件に始まるこの戦争は、対日全面戦争をもくろんだ蒋介石軍の責任であり、首都南京陥落後にも中国は和平に誠意を見せない。
という近衛首相らの強硬論があり、日本軍も蒋介石政府が屈服するまで引くに引けない戦況に陥った。
日本は中国の戦術にはまった、あるいは、中国に対する無知が原因。
(最後の大雑把な理由は、中国を過大評価するとともに、当時の歴史を詳らかにする努力不足です。)
結果として、日本の失敗は米英の利害を尊重し、味方に引き込むことが出来なかった点が大きいですね。
その前に、1937年7月7日盧溝橋事件があって、日本軍も内地から3個師団を増派しますが、紛争拡大か、不拡大かで相当に躊躇して、2度取りやめをしています。
つまり、日本陸軍にも最初から中国への侵攻計画はなく、そのまま停戦もありえた(勿論、拡大派はいますが)。
しかし、20日過ぎ、蒋介石が「関頭演説」――「最後の関頭に立ち至れば抗戦も辞さず」の演説をやって非常に強硬になってきた。
なぜなら、蒋介石軍及び中共軍は、対日全面戦争を企図していたからです。
上海ー南京ラインにドイツ軍の指導を受けた要塞等を築き、蒋介石軍数十万の集積が完了し、8月13日に攻撃を開始します(第二次上海事件、その年の12月の南京陥落まで続く)。
その前に、7月28、29日の2日間で日本軍は北平(北京)・天津地方を占領します。
では、中国側の事情はというと、蒋介石自身は、トラウトマン和平案に同意していました。
しかし、この政府の中には、国共合作により、共産党員も入っており、スパイや工作員が暗躍していました。
この状況で、蒋介石は日本との和平案を締結する責任を逃れ、回答しないまま行政委員長を辞職してしまいます。
この後、ドイツの援助を失った蒋介石軍に武器を提供したのは、ソ連です。
つまり、日本との全面戦争、後方かく乱を目論むソ連と中共のハナ薬が効いていたと言えましょう。
しかも、日本軍の侵攻で、米英は中国利権を失いました。
米英は停戦仲介者になるのではなく、重慶の蒋介石軍を後援し、ようやく蒋介石軍は長期持久戦の体制を固め、泥沼の支那事変へ(蒋介石、再び共産党の袂を分つ)。
やがて日米英の直接対決へと発展。という図式だと思います。
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昭和6年満州事変勃発。
昭和7年満州国、建国宣言。
昭和8年日中軍、熱河省で衝突。
昭和10年梅津・何応欽協定。土肥原・秦徳純協定。
昭和11年西安事件。蒋介石、張学良に監禁さる。
昭和12年盧溝橋事件。支那事変勃発。
通州事件。第二次上海事件。第二次国共合作成立。日本軍、南京占領。
昭和13年トラウトマン工作打ち切り。近衛首相、「国民政府を対手とせず」の声明発表。
日本軍、徐州・広東・武漢三鎮を占領。
これは メッセージ 4259 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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