Re: 「強制連行」の虚構性
投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2006/04/14 22:27 投稿番号: [3884 / 7270]
>こちらのトピは超初心者の私には図書館のような存在です。
>末永く続いて欲しいですね。
末永く続くかどうかは、皆さんのお力に掛かっています。
この数日が異常な投稿数なだけで。(苦笑)
>図書館の「人権」のコーナーに、在日朝鮮・韓国人差別の本がありましたが
>2〜3頁立ち読みしてうんざりしました。罪悪感を植えつけようという意図がありありで。
では、私設図書館として(笑)、資料を提供します。
「朝鮮人強制連行の誕生」(投稿制限字数の関係で省略部分は容赦下さい)
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鄭大均著「在日・強制連行の神話」より。
「朝鮮人強制連行」という言葉は、六〇年代初期のこの時点では、左派のサークルの一部の人にのみ知られるジャーゴン(専門用語・特殊用語)の域を出るものではなかったのである。
その後、状況が大きく変わるのは八〇年代に入ってからのことであるが、この変化を説明するためにも六〇年代半ばに刊行された一冊の本について触れておく必要がある。朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、一九六五年)がそれである。(中略)それでも、その影響は刊行から二十年ほどの間は限定的なものであったといえる。
だが、やがて八○年代に入り、日本のマス・メディアが第二次世界大戦中の日本の国家犯罪を語り、在日コリアンに対する差別の問題を語るようになると、「強制連行」という言葉はにわかに大衆化する。八○年代は、日韓の間に教科書問題という外交問題が生じた時期であるとともに、在日コリアンに対する指紋押捺制度がメディアで取りあげられ、またソウル・オリンピックの開催に伴う韓国ブームが引き起こされるというように、コリアへの関心が大衆化した時期であるが、その道案内の役割を担った者の中には左派系の人々が含まれており、「強制連行」という言葉を広めたのは彼らである。この言葉はやがて、日本の隣国に対する加害者性を語るときの手軽なキーワードとなり、『朝鮮人強制連行の記録』はそのバイブル的な存在になるのだが、この本は名前ほどには内容が知られてはいない。在日論の「古典」であるとか、「名著」であるという評価はあっても、その内容が批判的に検討されたことはほとんどないのである。
(中略)
〈朴慶植氏の『朝鮮人強制連行の記録』以来、「強制連行」の言葉が、日本帝国主義の朝鮮植民地支配の悪業の一として、人口に膾炙しているが、この本のなかでは、日中戦争・太平洋戦争中、日本政府による朝鮮人の労務者・軍人・軍属・従軍慰安婦・「満州」移民としての戦争遂行のための動員を、植民地支配─被支配の関係における強制力や遠方地への動員に着目して、「強制連行政策」と称しているにすぎない。問題点を直截に表現し、世論にアピールする用語として「朝鮮人強制連行」なる言葉を使っているのであって、歴史用語として厳密に言葉の範囲を定義づけているものではないのである。しかし、この朴慶植氏の問題提起は、衝撃的に世論および研究者の意識を喚起し、それ以来、「強制連行」という言葉は独り歩きを始め、あたかも特定の時期における特定の事象を指す歴史上の専門語であるかのように受けとめられている〉(金英達前掲書、一一九〜一二〇頁)
(中略)
朴慶植は一九二二年、慶尚北道の出身。七歳のとき渡日。同書には「わたしの両親は一九二九年、故郷での百姓生活が苦しくなって日本に渡り、九州大分県の片田舎で小作農をしてやっと暮らしをたてていた」(一二六頁)という記述がある。両親や弟妹は戦後まもなく故郷の「南朝鮮」に帰るが、朴はそのまま残り、四九年東洋大学文学部を卒業。東京朝鮮中・高等(高級)学校教員を経て、『朝鮮人強制連行の記録』を執筆したころは、東京都北多摩郡小平町にあった朝鮮大学校歴史地理学部の教員であった。
(中略)
当時の在日知識人の多くがそうであったように、朴慶植もまた北朝鮮を心のより所とする人間であり、氏もメンバーであった朝鮮総連は、北朝鮮労働党に遠隔操作される組織であり、六〇年から七〇年までの十年間は、そのエリート養成校の教員であった。
>末永く続いて欲しいですね。
末永く続くかどうかは、皆さんのお力に掛かっています。
この数日が異常な投稿数なだけで。(苦笑)
>図書館の「人権」のコーナーに、在日朝鮮・韓国人差別の本がありましたが
>2〜3頁立ち読みしてうんざりしました。罪悪感を植えつけようという意図がありありで。
では、私設図書館として(笑)、資料を提供します。
「朝鮮人強制連行の誕生」(投稿制限字数の関係で省略部分は容赦下さい)
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鄭大均著「在日・強制連行の神話」より。
「朝鮮人強制連行」という言葉は、六〇年代初期のこの時点では、左派のサークルの一部の人にのみ知られるジャーゴン(専門用語・特殊用語)の域を出るものではなかったのである。
その後、状況が大きく変わるのは八〇年代に入ってからのことであるが、この変化を説明するためにも六〇年代半ばに刊行された一冊の本について触れておく必要がある。朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、一九六五年)がそれである。(中略)それでも、その影響は刊行から二十年ほどの間は限定的なものであったといえる。
だが、やがて八○年代に入り、日本のマス・メディアが第二次世界大戦中の日本の国家犯罪を語り、在日コリアンに対する差別の問題を語るようになると、「強制連行」という言葉はにわかに大衆化する。八○年代は、日韓の間に教科書問題という外交問題が生じた時期であるとともに、在日コリアンに対する指紋押捺制度がメディアで取りあげられ、またソウル・オリンピックの開催に伴う韓国ブームが引き起こされるというように、コリアへの関心が大衆化した時期であるが、その道案内の役割を担った者の中には左派系の人々が含まれており、「強制連行」という言葉を広めたのは彼らである。この言葉はやがて、日本の隣国に対する加害者性を語るときの手軽なキーワードとなり、『朝鮮人強制連行の記録』はそのバイブル的な存在になるのだが、この本は名前ほどには内容が知られてはいない。在日論の「古典」であるとか、「名著」であるという評価はあっても、その内容が批判的に検討されたことはほとんどないのである。
(中略)
〈朴慶植氏の『朝鮮人強制連行の記録』以来、「強制連行」の言葉が、日本帝国主義の朝鮮植民地支配の悪業の一として、人口に膾炙しているが、この本のなかでは、日中戦争・太平洋戦争中、日本政府による朝鮮人の労務者・軍人・軍属・従軍慰安婦・「満州」移民としての戦争遂行のための動員を、植民地支配─被支配の関係における強制力や遠方地への動員に着目して、「強制連行政策」と称しているにすぎない。問題点を直截に表現し、世論にアピールする用語として「朝鮮人強制連行」なる言葉を使っているのであって、歴史用語として厳密に言葉の範囲を定義づけているものではないのである。しかし、この朴慶植氏の問題提起は、衝撃的に世論および研究者の意識を喚起し、それ以来、「強制連行」という言葉は独り歩きを始め、あたかも特定の時期における特定の事象を指す歴史上の専門語であるかのように受けとめられている〉(金英達前掲書、一一九〜一二〇頁)
(中略)
朴慶植は一九二二年、慶尚北道の出身。七歳のとき渡日。同書には「わたしの両親は一九二九年、故郷での百姓生活が苦しくなって日本に渡り、九州大分県の片田舎で小作農をしてやっと暮らしをたてていた」(一二六頁)という記述がある。両親や弟妹は戦後まもなく故郷の「南朝鮮」に帰るが、朴はそのまま残り、四九年東洋大学文学部を卒業。東京朝鮮中・高等(高級)学校教員を経て、『朝鮮人強制連行の記録』を執筆したころは、東京都北多摩郡小平町にあった朝鮮大学校歴史地理学部の教員であった。
(中略)
当時の在日知識人の多くがそうであったように、朴慶植もまた北朝鮮を心のより所とする人間であり、氏もメンバーであった朝鮮総連は、北朝鮮労働党に遠隔操作される組織であり、六〇年から七〇年までの十年間は、そのエリート養成校の教員であった。
これは メッセージ 3880 (sweet_japon さん)への返信です.
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