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Re: >内心の自由

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2006/04/07 00:03 投稿番号: [3754 / 7270]
>内心の自由と表現行為が一体不可分なだけに、難しい問題ですね。
ドイツとも、赤城艦長殿の話の流れともはずれますが、この点について、例えば日本の国旗や国歌に敬意を払う行為、学校職員が起立を要請されるケースで、否とする立場では、まさに内心の自由の踏絵として抗議されています。

無政府主義者的立場を取って、国家、国旗を拒否する立場はそれなりに結構ですね。但しコミュニティ−の規範やその多数の立場と違う立場を取るが、コミュニティーの一員である利益だけは享受したいというのは結構矛盾することだと思いますが(少数意見を認めるかどうかということではなくて)。自分は日本的生活を否定する、日本文化を否定すると言っても、イスラム教徒がそのまま受け入れてくれる訳ではありませんよね。イスラム教徒にならない限りは。

アメリカの児童用の忠誠の誓いの中の国家国旗に対する忠誠、強制が内心の自由に反するとして訴訟になった例はしらないのですが(ただし、神の下、うんぬんについては無心論者から政教分離に反するとの訴訟がおこされているようですが)。もしそんなことすればおそらくその人間は地域コミュニティーの中では生活できないんでしょう。

引用

米国の多くの公立学校では、星条旗を掲げて「忠誠の誓い」というのをするのだが、この文言に含まれる「神のもと(Under God)」という表現が、米国憲法の政教分離原則に違反しないかということが話題になっていた。もちろん、選挙がらみもある。これの関連で、14日(米国時間)、米連邦最高裁はひとつの判決を出した。が、話題の中心には触れず、原告の提訴の資格の有無という問題に絞り、原告にその資格がないとした。もともと「俺の娘にこんな誓いをさせるわけにはいかねー」というオヤジの戯言で、親権を分けるオッカサンは「これでいいのよ」という痴話に近い。いずれにせよ、結局、今回は「忠誠の誓い」はそのままということになった。学校行事も変わらない。もちろん問題がこれで解決したわけでもない。
  「忠誠の誓い」というのは、社会現象として見れば、馬鹿馬鹿しさも昨今の日本の日章旗にセットした「君が代」と似たようなものだが、似て非なる点は多い。どちらもしょーもねー愛国心教育のようだが、日本場合はもろに国家に結びつく。が、米国は愛国心には結びつくのは確かだとして、本当に国家に結びつくかよくわからないところがある。というのも、この問題は、以前サンフランシスコ連邦高裁で違憲判決が出ており、今回はそれを覆した形なのだが、米国憲法の原則から考えれば、サンフランシスコ連邦高裁に理があるだろうと、私なども思う。
  問題の「忠誠の誓い」だが、こんなものだ。



I pledge Allegiance to the flag
of the United States of America
and to the Republic for which it stands,
one nation under God, indivisible,
with Liberty and Justice for all.

http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/06/post_11.html

引用終わり


ソローの森の生活的生活をするとしても、ソローも結局は全く孤独の生活を送ったわけではなくて、森の生活中でも人とはつきあったわけですね。

>内心の自由とは、法の関知しない心の自由領域という一般用語に近いのでは、と思っています。

それはその通りだと思います。但し、その自由領域も踏絵等によって侵害されるおそれがあるから、保護する必要はあるとするのが憲法学の通説ですね。これとの関係でいうと、「君が代」を歌わないと言う消極的行為は、内心を察知させることになるから、内心の自由の保護の観点からはサンクションを受けるべきではないと言うことにはなります。(ここで前部に書いたコミュニティーとの関係がでてくると思います)。
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