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 とりあえずの資料2 

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/12/03 04:12 投稿番号: [3151 / 7270]
↓「日本文明77の鍵」より   「56戦争」

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  19世紀は平和な時代であったといわれている。たしかに、ヨーロッパでは、ナポレオン戦争の終結以来、1914年の第一次世界大戦まで、ヨーロッパ全土を巻き込むほどの大規模な戦争は起こらなかった。しかし日本では、19世紀こそは、戦争時代の幕あけとなった。1863年の薩英戦争を皮きりに、1864年の下関戦争と第一次幕長戦争。1866年には第二次幕長戦争が、そして、1868年には戊辰戦争とよばれた、東日本における一連の戦争が生じた。1877年には、日本で最後の内乱となった西南戦争。1894年には日清戦争、1904年には日露戦争と、戦争は時代を下るとともにその規模を大きくしていった。
  日本は1638年の島原の乱の終了以来、二百年余にわたる平和を享受していたために、戦争についての思想も、戦争の技術も無きに等しかった。日本は戦争の技術も思想も、ヨーロッパの文明から学ばなければならなかった。高木惣吉『現代の戦争』によれば、1480年から1941年までの四百六十年間に世界各国が体験した戦争の回数はいかのとおりである。イギリス七十八回、フランス七十一回、スペイン六十四回、ロシア六十一回、オーストリア五十二回、イタリア二十五回、ドイツ二十三回、アメリカ合衆国十三回、そして日本は九回であった。いかにヨーロッパ文明が戦争と共に発達した文明であるかが理解できよう。ヨーロッパのこのような戦争の文明が東洋にもたらされたとき、東洋の平和は根底からくつがえされることになった。
  古来、東洋の国際的平和は、文明のセンターとしての中国の絶対的な文化的・経済的・政治的実力を前提として、その周辺の国々は中国に恭順の意を表し、中国はこれらの国々の姿勢を是とし、不干渉主義をとることによってたもたれていた。中華思想という中国中心主義は、けっして軍事的な色彩をもたず、文明の感化力に信頼をおく思想であった。ところが、1840年のアヘン戦争によって中国がイギリスに敗北したため、このような東洋の国際的秩序の根本が、危ういものになりはじめた。中国への尊敬とその文明のセンターとしての実力に、疑義が生じてきたのである。
  日本はペリー来航以来、戦争の文明の信者となった。その技術と思想は、次第に日本の体質をかえていった。1875年の江華島事件は、ペリーが日本になしたのと同じことを朝鮮になした事件であった。すなわち、軍事的な恫喝による開国の要求である。日本の軍事力増強の出発点は、西洋列強からの独立を維持するためであった。しかし、ここでの行動は、消極的は独立の維持ではなく、他国への利権をもとめて進出しようとする野心のあらわれであった。日本の朝鮮への進出は、当然、伝統的に朝鮮の宗主国だとされていた中国のプライドと利害を傷つけた。こうして日清戦争がおこった。
  日清戦争における日本の勝利は、東アジアの伝統的国際秩序の終末を意味した。この勝利によって、文明のセンターであった中国に対する日本人の劣等意識は、優越感に転じた。日本の中国大陸への進出は当然視され、防衛のための軍事力は攻撃的色彩をつよめた。そして、そこには、ヨーロッパ列強の利権が待構えていたのである。

  〜続く〜
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