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Re: >昭和天皇が戦後述べられた

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2005/11/30 23:46 投稿番号: [3145 / 7270]
>軍部が国民をひっぱり、政府や天皇に圧力をかけて戦争に持っていった、という説には結構抵抗を感じます。
>軍部は戦争開始に躊躇しているが、国民の方が開戦に積極的。

昭和天皇のお言葉の「国民」の意味について、やや不明な点もありますが、これを解析しても不遜なので、一般的な話にしたいと思います。

開戦に対する軍部の圧力と言ったのは、国民が開戦に反対なのに、軍が無理に引っ張っていったという意味ではありません。
あくまでも開戦に慎重な勢力(軍人も含む)に対する、過激な軍人による軍事テロの恐怖があったのではないかという意味です。
官僚や議員の中にも相当な対米強硬論者が数多くいたと考えます。

昭和16年9月、すでに政府は、「帝国国策要綱」を作成し、戦争決意のもとに作戦準備と外交を並立させる段階に入っていたが、
11月1日の政府大本営連絡会議で、なお東郷茂徳外相や加屋興宣蔵相は外交優先の意を発言しています。
また、永野修身軍令部総長は、「本来、軍令部としては日米戦争は極力避けたいと考えていた。しかし今日となっては対米戦争もやむなを得ないと覚悟せる次第である」と述べています。
この席で塚田攻参謀次長も強硬論を述べながら、10月には、部下の瀬島龍三大尉に、「瀬島、油のために戦争せねばならんのかなあ」と漏らしています。
国民の開戦決意を醸成したのは、何なのでしょう。
政府が開戦回避の決断ができなかったのは、なぜでしょう。

日米開戦に沸き立つ国民というのも、多くの記録が残っていますが、その一部だけ。
作家伊藤整は、「私は急激な感動の中で、妙に静かに、ああこれでいい、これで大丈夫だ。もう決まったのだ、と安堵の念の湧くのを覚えた。この開始された米英相手の戦争に、予想のような重っ苦しさはちっとも感じられなかった。方向をはっきりと与えられた喜びと、弾むような身の軽さとがあって、不思議であった」と書き、詩人三好達治は、「ああその恫喝   ああその示威   ああその経済封鎖   ああそのABCD線   笑うべし脂肪過多デモクラシー   大統領が   飴よりもなお甘かりけん昨夜の魂胆のことごとくは   アメリカ太平洋艦隊は全滅せり!・・・」との詩を綴っています。
そして開戦翌日には、後楽園球場で新聞・通信社8社共催による米英撃滅国民大会が開催され、各社社長が熱弁を振るっています。

もっともこの興奮も、緒戦の戦果がなければ、やや違った重圧感が記録されていたのではないかと思います。
当日、午前7時のラジオ・ニュースで有名な、「西太平洋上でアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」の発表。
そして、午後9時のニュースで、ハワイ空襲の戦果を発表。
この大戦果によって国民は一気に解放感や高揚感を憶えたのではないでしょうか。
再び10日には、マレー沖海戦の戦果発表。
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