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過激ということ

投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2005/12/01 00:32 投稿番号: [3146 / 7270]
過激ということの相対性について考えてみたいと思います。

>あくまでも開戦に慎重な勢力(軍人も含む)に対する、過激な軍人による軍事テロの恐怖があったのではないかという意味です。
官僚や議員の中にも相当な対米強硬論者が数多くいたと考えます。

軍人といっても一般兵士ではないでしょうから、尉官クラス以上でしょうね。
問題は、では、具体的に名前を出せる過激派軍人がいたかということです。
尉官、佐官、将官は無数ではないのですから、実際過激であれば歴史書に過激派として名が残っていたのではないでしょうか。が、実際は、具体的な名前は挙がりませんし、また、開戦促進の、テロをも辞さぬ過激派の軍人グループというのもあまり聞きません。まあ、海軍の課長クラスは結構開戦派だったようですが(この場合、今のアメリカの禁輸が続けば日本がジリ貧になって、にっちもさっちもいかなくなる、ということが理由のようです)。「油のために戦争か」という問題が生じるのですが、油がなければ日本もその軍隊も成り立って以下なのですから、油を軽視してもいいということにはなりません。油にわい曲するのもゆきすぎでしょうけど。(油が特にそれまでの20年、30年にわたる日米外交の1つの象徴だということだと思います)。

過激派が穏健派になり、穏健派が過激派になるということについて。
過激派が常時過激派であるということではなさそうです。
2.26事件の安藤輝三大尉は、「自分には部下がいるからね」といって、部隊を使っての決起には消極的だったのですが、仲間に説得されて(事件終結直前に自決した野中四郎大尉の激が大きかったようですー日頃おとなしくて無口な野中が、安藤、何を躊躇しているかと叱った、と磯部浅一は獄中記でかいています)。

勅命が下り、他の部隊が帰順を始めたとき、最後まで抵抗したのが安藤部隊です。帰順を説得する同僚の青年将校にたいして、「私はこの決起には反対だった。しかし決起したのは最後までやり遂げるという覚悟ができたからだ・・・」

「日本の一番長い日」で有名な畑中中佐は、今の戦局が不利なのはロートル連中が軍をにぎっているからだ、一体やつらは戦争に勝つ気があるのか、ロートルを血祭りに上げて軍を改革しよう、粛軍が必要だ、といういわゆる「水特組」のクーデター計画には、過激すぎる、時期尚早として参加をことわり、腰抜け呼ばわりされたのですが、その畑中が、終戦時には、終戦に反対して、近衛師団長森中将を殺して、「狂した」わけです。日米開戦にはむしろ反対だった大西滝次郎が徹底抗戦派になりましたし。

過激というのは時間・空間、特に時間で見て相対的だという例だと思います。

これは直接本文には関係ありませんが、終戦工作には、2.26事件で軍をやめさせらりたり、左遷された連中が獅子奮迅の働きをしていたことはあまりしられていません。大岸頼好や明石寛などです(結構2.26事件関係では有名な人たちです。必ずしも日本を敗戦の形で終戦させようとしたわけではありませんが)。
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