(´・ω・`)ノ<1
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2004/11/27 01:55 投稿番号: [1849 / 7270]
(´・ω・`)ノ<my keyboard..... out of order
http://japanese.joins.com/html/2004/1125/20041125162400700.html
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<趙英男の日本文化ルポ>5.「隣の国、日本」の扉は開かれていた
来年の韓日国交正常化40周年を控えた時点に、どの国の扉が固く閉められていて、どの国の扉が大きく開けられているのかについて考えてみるのは、やや「時遅し」の感じもなくない。日本に滞在する間、私は朝日新聞・政治部記者のインタビューに応じた。私が先に「歌手生活35年の間で、外信の政治部記者に会ったのは今回が初めて」だと話すと、記者は興味深い質問を投げてきた。
「韓国政府の過去史清算作業は、日本まで少ながらず緊張させている。あなた見方は?」。私は一気に自分の意見を語った。「それが国論ならば賛成、単に一党レベルのものならば不賛成だ」と。つまり、現在の南北(韓国・北朝鮮)が分断した状況で、一方だけによる過去史清算は、なぜか不完全なものに思える、と話したのだ。質問は続いた。「なぜ、ある日突然自ら親日派になったのか」。
その記者は、サッカーの2002年・ワールドカップ大会当時、中央(チュンアン)日報に寄稿した私のコラムを読んだもようだった。返事できないわけもない。「私は解放(独立、1945年)以降に生まれ、反北(北朝鮮)、反共(中国)、反ソ(旧ソ連)、反日(日本)に一貫してきた。それは、宿命だった。雰囲気が、そんなものだった。少し成長した後は、通念とはやや異なる考え方をしはじめた」。それが私の返事だった。
実際、李御寧(イ・オリョン)氏の『「縮み」志向の日本人』、田麗玉 (チョン・ヨオック)氏の『日本はない』』(日本では『悲しい日本人』)という単行本は、こうした反日感情を再確認してくれた。また、日本をいっそのこと無視してしまえる根拠に位置付けられた。2冊の本は、韓国人が日本を理解する大衆的なコードなのだ。その後、私は2002年に取材のため東京へ渡り、森ビルで外を眺めながら「日本もなかなかやるな」と、東京〜大阪の新幹線に乗って窓の外を眺めながら「いや、日本はすごいな」と感嘆しなければならなかった。
全氏の著書の書名だけを盲信していた手落ちを怨まなければならなかった。独自の日本論を盛り込んだ『「縮み」指向の日本人』も、やはりワナに考えられた。「日本=縮み指向の国」との分析には、反対給付も大きかった。たとえば、同氏は、韓国と日本の「ご飯の文化」を比較する際、韓国は器にご飯を盛った後テーブルに置いたまま食べるけど、日本は器を手で持ったまま食べるから「縮み指向」だ、とした。弁当文化やトランジスター文化も、縮み指向の結晶だと釘をさした。そこまでだ。
しかし、私の考え方にすれば、李氏は、弁当とトランジスターが場所に制限されず食べられる、という明白な「拡大指向」の現象を見過ごした。すべてのものには、両側面があるのに。すなわち、いくら弱いピアノの音にも、フォルテ(f)とピアノ(p)がミックスされているのと同様だ。私がこうした問題を提起する理由は、2冊の本が、少なくとも私のような人間にとっては、日本のことを非常にわい小に認識させた本だからだ。
_____ to be continued
http://japanese.joins.com/html/2004/1125/20041125162400700.html
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<趙英男の日本文化ルポ>5.「隣の国、日本」の扉は開かれていた
来年の韓日国交正常化40周年を控えた時点に、どの国の扉が固く閉められていて、どの国の扉が大きく開けられているのかについて考えてみるのは、やや「時遅し」の感じもなくない。日本に滞在する間、私は朝日新聞・政治部記者のインタビューに応じた。私が先に「歌手生活35年の間で、外信の政治部記者に会ったのは今回が初めて」だと話すと、記者は興味深い質問を投げてきた。
「韓国政府の過去史清算作業は、日本まで少ながらず緊張させている。あなた見方は?」。私は一気に自分の意見を語った。「それが国論ならば賛成、単に一党レベルのものならば不賛成だ」と。つまり、現在の南北(韓国・北朝鮮)が分断した状況で、一方だけによる過去史清算は、なぜか不完全なものに思える、と話したのだ。質問は続いた。「なぜ、ある日突然自ら親日派になったのか」。
その記者は、サッカーの2002年・ワールドカップ大会当時、中央(チュンアン)日報に寄稿した私のコラムを読んだもようだった。返事できないわけもない。「私は解放(独立、1945年)以降に生まれ、反北(北朝鮮)、反共(中国)、反ソ(旧ソ連)、反日(日本)に一貫してきた。それは、宿命だった。雰囲気が、そんなものだった。少し成長した後は、通念とはやや異なる考え方をしはじめた」。それが私の返事だった。
実際、李御寧(イ・オリョン)氏の『「縮み」志向の日本人』、田麗玉 (チョン・ヨオック)氏の『日本はない』』(日本では『悲しい日本人』)という単行本は、こうした反日感情を再確認してくれた。また、日本をいっそのこと無視してしまえる根拠に位置付けられた。2冊の本は、韓国人が日本を理解する大衆的なコードなのだ。その後、私は2002年に取材のため東京へ渡り、森ビルで外を眺めながら「日本もなかなかやるな」と、東京〜大阪の新幹線に乗って窓の外を眺めながら「いや、日本はすごいな」と感嘆しなければならなかった。
全氏の著書の書名だけを盲信していた手落ちを怨まなければならなかった。独自の日本論を盛り込んだ『「縮み」指向の日本人』も、やはりワナに考えられた。「日本=縮み指向の国」との分析には、反対給付も大きかった。たとえば、同氏は、韓国と日本の「ご飯の文化」を比較する際、韓国は器にご飯を盛った後テーブルに置いたまま食べるけど、日本は器を手で持ったまま食べるから「縮み指向」だ、とした。弁当文化やトランジスター文化も、縮み指向の結晶だと釘をさした。そこまでだ。
しかし、私の考え方にすれば、李氏は、弁当とトランジスターが場所に制限されず食べられる、という明白な「拡大指向」の現象を見過ごした。すべてのものには、両側面があるのに。すなわち、いくら弱いピアノの音にも、フォルテ(f)とピアノ(p)がミックスされているのと同様だ。私がこうした問題を提起する理由は、2冊の本が、少なくとも私のような人間にとっては、日本のことを非常にわい小に認識させた本だからだ。
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これは メッセージ 1816 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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