「ノモンハン・60年目の夏(1)」
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2004/08/31 23:55 投稿番号: [1595 / 7270]
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99年05月08日
■■ ノモンハン・60年目の夏(1)
■■ 作家 岩田玲文
▼ 地図を身ながら ① ▼
4ヵ月に及ぶ惨劇的戦い
日本を考えさせられた事件
この高原の国は、北をぐるりとロシアに、そして、南はさらにながながと、中国と直に国境を接しているから、どこにも出口がない。もちろん入口もなく、まったく閉塞の地である。
両大国に挟まれ、ふて腐れてごろりと寝転んだ羊の姿で、この国が在る。西が頭で東が尻尾だ。とすると、北のロシアに短い足を投げ出し、南の中国に、頑固にその丸っこい背中を向けたこの羊、なかなかのもののように見える。
そう見えるのは私だけかも知れないが、地球上に在る国で、ただ一筆でその国の型が描ける、数少ない国の一つであることだけは確かだ。
一九九二年まで『モンゴル人民共和国』を名乗っていたこの国は、人民共和国を消し、今はただの『モンゴル国』である。その方がすっきりしていていい、と私は思う。××民主主義人民共和国などと、とんでもない国名を持つ国もあるが、そんなものに真者があった例がないからだ。
モンゴル国というと(なァんだチンギス汗の国か)と、ほとんどの日本人は、すぐに納得する。だが、それでおしまいだ。それ以上の知識の持ち合わせは、残念ながらない。
「いやそんなことはない」という人もいるが、それとてせいぜい「旭鷲山や旭天鵬が生まれた国だろう」で話が終わる。たまに、「確か神戸の大震災の時、最初に救援物資の毛布数千枚を送ってくれた国ですよね」と云ったり、「領土面積百五十六万六千五百・・はおよそ日本の四・一倍、人口(二百四十万人弱)は日本の五十分の一、首都はウランバートルで、社会主義を放棄したチベット仏教の国でしょう」と云ってくれる人もいたりするがしかし、そんな人は極く極く稀である。そんな極く稀な人や、私と同世代以上の古強者には、表題の「ノモンハン」について、くどくどと語る必要はないのだが、しかし、「ノモンハン?それって何?」と聞き返す人に、いささか押しつけがましい気がしないでもないが、ぜひ「ノモンハン」を知って欲しいという思いが私にはある。
それはノモンハンで、ソビエト・モンゴル連合軍と日本の関東軍とが、およそ四カ月に及ぶ惨劇的な戦いを交えてから、今年で六十年目を迎えるからだ。六十年前の夏、ノモンハンは戦場だった。
「いったい日本とは何だろうということを、最初に考えさせられたのは、ノモンハン事件でした。昭和十四年(一九三九年)私が中学の時のことでした。こんなばかな戦争をする国は、世界中にもないと思うのです」
と司馬遼太郎さんは『昭和という国家』の中でそう語っている。話しはなお「ノモンハンには、実際に行ったことはありません。その後に入った戦車連隊が、ノモンハン事件に参加していました。(略)私は、ノモンハン事件のことを調べてみたかったのです。ずいぶん調べました。資料も集めました。人にも会いました。会いましたけれども、一行も書いたことがないのです。それを書こうと思っていながら、いまだに書いたことがなくて、ついに書かずに終わるのではないか、そういう感じがします」
とつづいている。そしてその言葉通り、司馬さんはとうとう書かずじまいで、この世を去った。
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99年05月08日
■■ ノモンハン・60年目の夏(1)
■■ 作家 岩田玲文
▼ 地図を身ながら ① ▼
4ヵ月に及ぶ惨劇的戦い
日本を考えさせられた事件
この高原の国は、北をぐるりとロシアに、そして、南はさらにながながと、中国と直に国境を接しているから、どこにも出口がない。もちろん入口もなく、まったく閉塞の地である。
両大国に挟まれ、ふて腐れてごろりと寝転んだ羊の姿で、この国が在る。西が頭で東が尻尾だ。とすると、北のロシアに短い足を投げ出し、南の中国に、頑固にその丸っこい背中を向けたこの羊、なかなかのもののように見える。
そう見えるのは私だけかも知れないが、地球上に在る国で、ただ一筆でその国の型が描ける、数少ない国の一つであることだけは確かだ。
一九九二年まで『モンゴル人民共和国』を名乗っていたこの国は、人民共和国を消し、今はただの『モンゴル国』である。その方がすっきりしていていい、と私は思う。××民主主義人民共和国などと、とんでもない国名を持つ国もあるが、そんなものに真者があった例がないからだ。
モンゴル国というと(なァんだチンギス汗の国か)と、ほとんどの日本人は、すぐに納得する。だが、それでおしまいだ。それ以上の知識の持ち合わせは、残念ながらない。
「いやそんなことはない」という人もいるが、それとてせいぜい「旭鷲山や旭天鵬が生まれた国だろう」で話が終わる。たまに、「確か神戸の大震災の時、最初に救援物資の毛布数千枚を送ってくれた国ですよね」と云ったり、「領土面積百五十六万六千五百・・はおよそ日本の四・一倍、人口(二百四十万人弱)は日本の五十分の一、首都はウランバートルで、社会主義を放棄したチベット仏教の国でしょう」と云ってくれる人もいたりするがしかし、そんな人は極く極く稀である。そんな極く稀な人や、私と同世代以上の古強者には、表題の「ノモンハン」について、くどくどと語る必要はないのだが、しかし、「ノモンハン?それって何?」と聞き返す人に、いささか押しつけがましい気がしないでもないが、ぜひ「ノモンハン」を知って欲しいという思いが私にはある。
それはノモンハンで、ソビエト・モンゴル連合軍と日本の関東軍とが、およそ四カ月に及ぶ惨劇的な戦いを交えてから、今年で六十年目を迎えるからだ。六十年前の夏、ノモンハンは戦場だった。
「いったい日本とは何だろうということを、最初に考えさせられたのは、ノモンハン事件でした。昭和十四年(一九三九年)私が中学の時のことでした。こんなばかな戦争をする国は、世界中にもないと思うのです」
と司馬遼太郎さんは『昭和という国家』の中でそう語っている。話しはなお「ノモンハンには、実際に行ったことはありません。その後に入った戦車連隊が、ノモンハン事件に参加していました。(略)私は、ノモンハン事件のことを調べてみたかったのです。ずいぶん調べました。資料も集めました。人にも会いました。会いましたけれども、一行も書いたことがないのです。それを書こうと思っていながら、いまだに書いたことがなくて、ついに書かずに終わるのではないか、そういう感じがします」
とつづいている。そしてその言葉通り、司馬さんはとうとう書かずじまいで、この世を去った。
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これは メッセージ 1594 (usagigamemaimai さん)への返信です.
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