「日本人は執着心が強い」
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2004/08/31 23:50 投稿番号: [1594 / 7270]
中国語での「執着心」のニュアンスは日本語とは少し違うようですね。
(日本語だと否定的な意味合いが強いような・・・私の周辺だけかな?)
林思雲博士の記事に遺骨収集のことが出ていましたので、
トピずれですがノモンハン関連の記事をご紹介します
↓ 1999年放映のドキュメンタリーの取材記録を記事にしたもののようです。
(なぜかリンクが貼れなかった・・)
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99年12月27日
■■ ノモンハン・60年目の夏(45) ■■ 作家 岩田玲文
▼ 夏そしてノモンハン 6 ▼ 草原で語り合う日のために
夕日の中の2つのイス
尻切れ蜻蛉のまま、この物語もいよいよ最終回を迎えてしまった。
このことは、初めにお断わりしたかと思うが、私には、ノモンハン事件の戦史を書くつもりはまったくなく、ノモンハンの戦地を巡礼しながら、草原に眠る英霊と語り、ビルワさんと語り、私なりのノモンハンを歩いて、この二年半ほど書き続けてきた「天国の国へ」の結末のようなものにしようと思っていた。だがその辻妻を合わせる前に、この回で鉛筆を置くことになってしまった。
読者のみなさんには何とも申し訳ないのだが、虫のいい詫び言を聞いて頂けるならば、大晦日の夜七時から九時まで、二時間にわたって放映される『ノモンハン事件と蕎麦の花』(スカイ・パーフェクト・テレビ三七〇CH、デレク・テレビ六二六CH)レッツトライ放送を是非に御覧いただきたいのである。
番組は(草原の国モンゴルは、東アジアの北限に在る)と、この物語の冒頭と同じ語りで始まる。そして最後の六分間は、ただ一言の語りもなく、三牧可奈さんのピアノと田中藍さんが奏でるヴァイオリンによる(望郷のバラード)の曲と、映像のみが流れて、完る。賢明なる諸兄妹にはそれだけで、ノモンハン事件のことも、日本人捕虜のことも、モンゴルのことも、私がこの物語で語りたかったことなども、それぞれに感応していただけるのではないかと、いささか自負しています。
ここに一通の葉書があります。友弘国雄さんに頂いたものだ。友弘さんのことは『ノモンハン事件と蕎麦の花』の中でもご紹介させて頂いているのだが、昭和二十年八月の終戦時に、満州で不法にもソ連軍によって拉致され、シベリアからモンゴル国へと送られた、一万四千余人の日本人捕虜の中の一人で、モンゴルで強制労働を課せられての俘虜生活を送るうちに、凍傷により両足を切断、義足などあろう筈もなく、それからの二年を躄のまま生き抜いて、日本に帰って来た人である。
ここで友弘さんのことを語るのは、私の作品が、それが活字にせよ映像にせよ、再びみなさんのお目にとまるようなことがあるとすれば、それは恐らく春日幸雄さん(友弘さんと同じくモンゴルで捕虜生活を送られた軍医)と、友弘さんのことについて、私が語る時だろうと思うからだ。
ノモンハン事件は、あの東京裁判に於て、日本帝国主義の侵略戦争という裁定を下されたまま、まさに風化せんとしている。そして日本人捕虜の話は、人にその事実さえも知られないまま、さらに極悪の条件に耐えられず命果てた英霊たちの墓地は、今はもう詣でる人とてなく、草原に消えようとしている。いうまでもなく、その英霊たちが帰り行く祖国はこの日本である。ならば今、その祖国日本に生きている者たちは、祖国のために何を為すべきか…。そのことを私はこれからも自らに問いかけながら、生きて行きたいと思う。
忘れられたように置かれている、夕陽の中の二つの椅子は、若しいつか、あなたとモンゴル草原で語り合える日があるとき、そのときのためにフイ高地に私が置いてきたものです。
(おわり)
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45回連載の最終回です。
元モンゴル兵士との話や「国旗」など興味深いエピソードが多いので、
順次ご紹介したいと思っているのですが・・かまわないでしょうか?
(日本語だと否定的な意味合いが強いような・・・私の周辺だけかな?)
林思雲博士の記事に遺骨収集のことが出ていましたので、
トピずれですがノモンハン関連の記事をご紹介します
↓ 1999年放映のドキュメンタリーの取材記録を記事にしたもののようです。
(なぜかリンクが貼れなかった・・)
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99年12月27日
■■ ノモンハン・60年目の夏(45) ■■ 作家 岩田玲文
▼ 夏そしてノモンハン 6 ▼ 草原で語り合う日のために
夕日の中の2つのイス
尻切れ蜻蛉のまま、この物語もいよいよ最終回を迎えてしまった。
このことは、初めにお断わりしたかと思うが、私には、ノモンハン事件の戦史を書くつもりはまったくなく、ノモンハンの戦地を巡礼しながら、草原に眠る英霊と語り、ビルワさんと語り、私なりのノモンハンを歩いて、この二年半ほど書き続けてきた「天国の国へ」の結末のようなものにしようと思っていた。だがその辻妻を合わせる前に、この回で鉛筆を置くことになってしまった。
読者のみなさんには何とも申し訳ないのだが、虫のいい詫び言を聞いて頂けるならば、大晦日の夜七時から九時まで、二時間にわたって放映される『ノモンハン事件と蕎麦の花』(スカイ・パーフェクト・テレビ三七〇CH、デレク・テレビ六二六CH)レッツトライ放送を是非に御覧いただきたいのである。
番組は(草原の国モンゴルは、東アジアの北限に在る)と、この物語の冒頭と同じ語りで始まる。そして最後の六分間は、ただ一言の語りもなく、三牧可奈さんのピアノと田中藍さんが奏でるヴァイオリンによる(望郷のバラード)の曲と、映像のみが流れて、完る。賢明なる諸兄妹にはそれだけで、ノモンハン事件のことも、日本人捕虜のことも、モンゴルのことも、私がこの物語で語りたかったことなども、それぞれに感応していただけるのではないかと、いささか自負しています。
ここに一通の葉書があります。友弘国雄さんに頂いたものだ。友弘さんのことは『ノモンハン事件と蕎麦の花』の中でもご紹介させて頂いているのだが、昭和二十年八月の終戦時に、満州で不法にもソ連軍によって拉致され、シベリアからモンゴル国へと送られた、一万四千余人の日本人捕虜の中の一人で、モンゴルで強制労働を課せられての俘虜生活を送るうちに、凍傷により両足を切断、義足などあろう筈もなく、それからの二年を躄のまま生き抜いて、日本に帰って来た人である。
ここで友弘さんのことを語るのは、私の作品が、それが活字にせよ映像にせよ、再びみなさんのお目にとまるようなことがあるとすれば、それは恐らく春日幸雄さん(友弘さんと同じくモンゴルで捕虜生活を送られた軍医)と、友弘さんのことについて、私が語る時だろうと思うからだ。
ノモンハン事件は、あの東京裁判に於て、日本帝国主義の侵略戦争という裁定を下されたまま、まさに風化せんとしている。そして日本人捕虜の話は、人にその事実さえも知られないまま、さらに極悪の条件に耐えられず命果てた英霊たちの墓地は、今はもう詣でる人とてなく、草原に消えようとしている。いうまでもなく、その英霊たちが帰り行く祖国はこの日本である。ならば今、その祖国日本に生きている者たちは、祖国のために何を為すべきか…。そのことを私はこれからも自らに問いかけながら、生きて行きたいと思う。
忘れられたように置かれている、夕陽の中の二つの椅子は、若しいつか、あなたとモンゴル草原で語り合える日があるとき、そのときのためにフイ高地に私が置いてきたものです。
(おわり)
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45回連載の最終回です。
元モンゴル兵士との話や「国旗」など興味深いエピソードが多いので、
順次ご紹介したいと思っているのですが・・かまわないでしょうか?
これは メッセージ 1 (yusura_sdhk さん)への返信です.
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