三・一運動論 8
投稿者: tell_me_honto_gou_2004 投稿日時: 2004/08/27 15:11 投稿番号: [1567 / 7270]
いかようにも操縦が出来ると誤解した事である。而して排日の事実起れば、当局は故意か有意か、自ら反省するの煩を避けて、直ぢに第三者の煽動に帰する。而して、さらでだに開拓を怠った彼の国の民心をして、これが為にいっそう噴慨の念を強うせしめる。かくまでして努めた苦心と又投じたる巨資とは、今日になって見れば、ただ失態の曝露によって酬いられたに止ったではないか。かくても当時対支外交の衝に当った人々は、我々はかくかくの計画を立てかくかくの利権を拡張するつもりであったと負惜しみを言う。それだけの計画が、先方の民心の自由な納得を得て確実に得られるかどうかを顧慮することなく、ただいわゆる経綸を述べ立つるだけの事なら、我輩は一夜の中に世界併合の方策を立案するを難しとせない。
これと同じような事は、満蒙の間題、西比利亜の間題に就ても、一々実例に徴して論ずる事が出来るが、くだくだしいから今は略する。
日米間題の如きも、多少趣は違うが、結局は同一に帰すると思う。米国に於ける排日の根本原因は一つは、日米両国人の接触より来る共同生活上のいくたの不便であり、又一つには、我国の東洋政策より類推して、米人が我対外発展の根本動機に対する不安疑倶の念である。この中のどれだけが誤解に属するかは、事実問題として別に論究するを要するも、少くとも我に於て大いに反省するの必要あるは云うを俟たない。而して、漫然人種的差別待遇の不当を説いて彼を責むるは、その主張にどれだけの真理あるにしろ、自己反省を欠く点に於て、我々は国民を警告するの必要を認める、いわんや日米間題の本質は、いわゆる人種的差別待遇に非ざるに於てをや。したがって予輩は、日米問題の解決も亦、或る意味に於て国民の自己反省を欠くの態度に誤られて居ると信ずるものである。
いずれにしても、我々の自己反省を欠くの態度が、今日どれだけ外交的失敗の原因を為して居るか分からない。人は云う、国際関係は殺伐だと。けれども、一面に於て世界は割合に公平である。我々は事実の公平明白なる諒解の上に、道理によって問題を解決せんとする態度さえ誤らなければ、世界的共同生活の中に帝国の地歩を確立するに、毫も困難は無いと思う。この考よりして吾人は、国民に向って対外的良心の発揮を力説するの必要、今日より急なるは無いと考うるものである。*
(『中央公論』大正八年四月号)
*この論文とほとんど同趣旨のことを、吉野は三月二二日の黎明会第三回講演会の開会の辞「まず自已を反省せよ」(『黎明講演集』第三輯)で述べている。
これと同じような事は、満蒙の間題、西比利亜の間題に就ても、一々実例に徴して論ずる事が出来るが、くだくだしいから今は略する。
日米間題の如きも、多少趣は違うが、結局は同一に帰すると思う。米国に於ける排日の根本原因は一つは、日米両国人の接触より来る共同生活上のいくたの不便であり、又一つには、我国の東洋政策より類推して、米人が我対外発展の根本動機に対する不安疑倶の念である。この中のどれだけが誤解に属するかは、事実問題として別に論究するを要するも、少くとも我に於て大いに反省するの必要あるは云うを俟たない。而して、漫然人種的差別待遇の不当を説いて彼を責むるは、その主張にどれだけの真理あるにしろ、自己反省を欠く点に於て、我々は国民を警告するの必要を認める、いわんや日米間題の本質は、いわゆる人種的差別待遇に非ざるに於てをや。したがって予輩は、日米問題の解決も亦、或る意味に於て国民の自己反省を欠くの態度に誤られて居ると信ずるものである。
いずれにしても、我々の自己反省を欠くの態度が、今日どれだけ外交的失敗の原因を為して居るか分からない。人は云う、国際関係は殺伐だと。けれども、一面に於て世界は割合に公平である。我々は事実の公平明白なる諒解の上に、道理によって問題を解決せんとする態度さえ誤らなければ、世界的共同生活の中に帝国の地歩を確立するに、毫も困難は無いと思う。この考よりして吾人は、国民に向って対外的良心の発揮を力説するの必要、今日より急なるは無いと考うるものである。*
(『中央公論』大正八年四月号)
*この論文とほとんど同趣旨のことを、吉野は三月二二日の黎明会第三回講演会の開会の辞「まず自已を反省せよ」(『黎明講演集』第三輯)で述べている。
これは メッセージ 1566 (tell_me_honto_gou_2004 さん)への返信です.
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