柳田國男「明治大正史」
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2004/06/30 01:03 投稿番号: [1387 / 7270]
>序文と目次をそのうち書込みます。
↓「〜世相篇 自序」抜粋ですが、お待たせしました!
(って、誰も待ってないかもしれないけど・・寂。ま、いっか)
______________________________________
明治大正史の編纂が、わが朝日新聞によって計画せられるよりもずっと以前から、実はこういうふうな書物を一度は書いてみたいということが、内々の自分の願いであった。そのためにはすでに多少の準備をしているような気持ちでもあった。ところがさていよいよ着手してみると、新しい企てだけに案外な故障ばかり多かった。日限はそうおうにとってあったにもかかわらず、なお非常に印刷所を待たせて、しかもこのような不手際なものしか出来なかった。病気その他の若干の申しわけはあるが、要するに自分にはまだ少し荷が重過ぎたのであった。残念な話だと思う。
ただしこの経験は少なくとも嗣いで試みる人には参考になると信ずるゆえに、釈明を兼ねて一通りこれを述べておきたい。打ち明けて自分の遂げざりし野望を言うならば、実は自分は現代生活の横断面、すなわち毎日われわれの眼前に出ては消えるじじつのみに拠って、立派に歴史は書けるものだと思っているのである。それをたまたま試みた自分が、失敗したのだから話にならぬが、自然史の方面ではこれはつとに立証せられたことで、少しでも問題にはなっていないのである。
ことに一方の人間史の側では、これに比べるとはるかに豊富なる過去の観察が、少しは偏しているかしらぬが、記憶されまた記述されていて、われわれの推測に心強い支援を与えてくれるのみか、さらに化石学にも相当する知識の領分が、また自然史よりは何倍か広いのである。資料はむしろあり過ぎるほど多い。もし採集と整理と分類と比較との方法さえ正しければ、彼に可能であったことがこなたに不可能なはずはないと考えたのである。
〜略〜
問題はしからばどうしてそのその資料を集め、また標本を調製するかであった。自分が新聞のあり余るほどの毎日の記事を、最も有望の採集地と認めたことは、決して新聞人の偏頗心からではなかった。新聞の記録ほど時世を映出するというただ一つの目的に、純にしてまた精確なものは古今ともにない。そうしてその事実は数十万人の、いっせいに知りかつ興味をもつものであったのである。ちょうど一つのプレパラートを一つの鏡から、一時にのぞくような共同の認識が得られる。これを基礎にすることができれば、結論は求めずとも得られると思った。そのために約一年の間、全国各府県の新聞に眼を通して、莫大の切り抜きを造っただけでなくさらに参考として過去六十年の、各地各時期の新聞をも渉猟してみたのである。
ところが最後になって追い追いとわかってきたことは、これだけ繁多に過ぎたる日々の記事ではあるが、現実の社会事相はこれよりもまたはるかに複雑であって、新聞はわずかにその一部をしか覆うていないということである。記録があれば最も有力であるべき若干の事実が、偶然にこの中から脱しているということであった。
新聞は決して前代の史官のように、伝うるに足る事蹟のの選択はしないのだが、それでも生活の最も尋常平凡なものは、新たなる事実として記述せられるような機会が少なく、しかもわれわれの世相は常にこのありふれたる大道の上を推移したのであった。そうしてその変更のいわゆる尖端的なもののみが採録せられ、他の碌々としてこれと対峙する部分に至っては、むしろ反射的にこういう例外のほうから、推察しなければならぬような不便があったのである。
そこで結局はそれ以外のものの、現に読者も知り自分も知っているという事実を、ただ漠然と援用するほのほかなかった。努めて多数の人々が平凡と考え、そんなことがあるかと言わぬような事実だけを挙示して、出所を立証せずにすむという方法を採るのやむなきに至ったのである。いま少し時日があるなら標本を作ることはできたのであるが、そうしてみたところでただわかりきったことを、ていねいに述べるという結果にしかならぬ。この点が将来何とか考えてみなければならぬ問題で、とにかく最初の計画はここで頓挫した。新聞はもちろん無限の暗示であったが、直接の資料として引用しえたものはただわずかであった。その他の資料もあまりに同時代人の熟知していることを、異国後代の読者に書き送るように、くだくだしく記述する気にはなれなかった。
_〜続く〜_____________________________________
↓「〜世相篇 自序」抜粋ですが、お待たせしました!
(って、誰も待ってないかもしれないけど・・寂。ま、いっか)
______________________________________
明治大正史の編纂が、わが朝日新聞によって計画せられるよりもずっと以前から、実はこういうふうな書物を一度は書いてみたいということが、内々の自分の願いであった。そのためにはすでに多少の準備をしているような気持ちでもあった。ところがさていよいよ着手してみると、新しい企てだけに案外な故障ばかり多かった。日限はそうおうにとってあったにもかかわらず、なお非常に印刷所を待たせて、しかもこのような不手際なものしか出来なかった。病気その他の若干の申しわけはあるが、要するに自分にはまだ少し荷が重過ぎたのであった。残念な話だと思う。
ただしこの経験は少なくとも嗣いで試みる人には参考になると信ずるゆえに、釈明を兼ねて一通りこれを述べておきたい。打ち明けて自分の遂げざりし野望を言うならば、実は自分は現代生活の横断面、すなわち毎日われわれの眼前に出ては消えるじじつのみに拠って、立派に歴史は書けるものだと思っているのである。それをたまたま試みた自分が、失敗したのだから話にならぬが、自然史の方面ではこれはつとに立証せられたことで、少しでも問題にはなっていないのである。
ことに一方の人間史の側では、これに比べるとはるかに豊富なる過去の観察が、少しは偏しているかしらぬが、記憶されまた記述されていて、われわれの推測に心強い支援を与えてくれるのみか、さらに化石学にも相当する知識の領分が、また自然史よりは何倍か広いのである。資料はむしろあり過ぎるほど多い。もし採集と整理と分類と比較との方法さえ正しければ、彼に可能であったことがこなたに不可能なはずはないと考えたのである。
〜略〜
問題はしからばどうしてそのその資料を集め、また標本を調製するかであった。自分が新聞のあり余るほどの毎日の記事を、最も有望の採集地と認めたことは、決して新聞人の偏頗心からではなかった。新聞の記録ほど時世を映出するというただ一つの目的に、純にしてまた精確なものは古今ともにない。そうしてその事実は数十万人の、いっせいに知りかつ興味をもつものであったのである。ちょうど一つのプレパラートを一つの鏡から、一時にのぞくような共同の認識が得られる。これを基礎にすることができれば、結論は求めずとも得られると思った。そのために約一年の間、全国各府県の新聞に眼を通して、莫大の切り抜きを造っただけでなくさらに参考として過去六十年の、各地各時期の新聞をも渉猟してみたのである。
ところが最後になって追い追いとわかってきたことは、これだけ繁多に過ぎたる日々の記事ではあるが、現実の社会事相はこれよりもまたはるかに複雑であって、新聞はわずかにその一部をしか覆うていないということである。記録があれば最も有力であるべき若干の事実が、偶然にこの中から脱しているということであった。
新聞は決して前代の史官のように、伝うるに足る事蹟のの選択はしないのだが、それでも生活の最も尋常平凡なものは、新たなる事実として記述せられるような機会が少なく、しかもわれわれの世相は常にこのありふれたる大道の上を推移したのであった。そうしてその変更のいわゆる尖端的なもののみが採録せられ、他の碌々としてこれと対峙する部分に至っては、むしろ反射的にこういう例外のほうから、推察しなければならぬような不便があったのである。
そこで結局はそれ以外のものの、現に読者も知り自分も知っているという事実を、ただ漠然と援用するほのほかなかった。努めて多数の人々が平凡と考え、そんなことがあるかと言わぬような事実だけを挙示して、出所を立証せずにすむという方法を採るのやむなきに至ったのである。いま少し時日があるなら標本を作ることはできたのであるが、そうしてみたところでただわかりきったことを、ていねいに述べるという結果にしかならぬ。この点が将来何とか考えてみなければならぬ問題で、とにかく最初の計画はここで頓挫した。新聞はもちろん無限の暗示であったが、直接の資料として引用しえたものはただわずかであった。その他の資料もあまりに同時代人の熟知していることを、異国後代の読者に書き送るように、くだくだしく記述する気にはなれなかった。
_〜続く〜_____________________________________
これは メッセージ 1325 (usagigamemaimai さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/bdibf4bcta4na4bfa4aa4nffc4z5doc0bel_1/1387.html