任那日本府についての若干違う意見!その4
投稿者: bakajaps 投稿日時: 2001/05/13 01:44 投稿番号: [4435 / 35788]
外交使節説を裏付ける一連の論
1、任那日本府に関する表記とそれに関連する内容は6世紀を記述している「日本書紀の欽明紀」に限られているのに、出先機関説と百済軍指令部説では、任那日本府の成立を、4世紀について記述している「日本書紀の神功紀」の所謂「新羅征討説話」「加羅七国平定説話」から求めている。日本の研究者は更に好太王碑文と結び付け、倭が4世紀末に加羅に対する支配権を確保し、その中心的な統治機関として作ったのが「任那日本府」だと説明しているが、任那日本府に関する記述は4世紀の「神功紀」じゃなく6世紀半ばの「欽明紀」の記述に限られている。
2、任那日本府に関する記述をみると倭あるいは百済が加羅諸国に対して租税の徴収、力役及び軍事の動員、それから政治的な強制のようなことを行った痕跡が見つけられない。役所あるいは機関のような府の存在を現わす政治、軍事的な支配に関連する内容はどこにも見当たらない。任那日本府と関連した記述は加羅諸国の王達と関わる外交活動の内容しかないし、政治、軍事的な支配を表す記録はない。倭の出先機関或いは百済の軍指令部のようなものは考えられない。
3、「日本書紀」「三国史記」に見られる加羅の滅亡に関する記述をみると、新羅による加羅諸国の最終的な統合だけを伝えるだけで、これに対しての倭あるいは百済が新羅に対して軍事的な行動をとったという内容は全くゼロ。もし、任那日本府が倭の統治機関、百済の軍指令部だったら、こういう事はあり得ない。
以上、、簡単だが、最近の任那日本府に関して、参考まで学界の意見を整理してみました。
眠い、、今日はこの辺で、、、
これは メッセージ 4433 (bakajaps さん)への返信です.
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