なぜ日本人は、嫌われるのか?

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任那日本府についての若干違う意見!その3

投稿者: bakajaps 投稿日時: 2001/05/13 01:23 投稿番号: [4433 / 35788]
4、百済軍指令部説

韓国学界の本格的な「出先機関説」への批判は、チョン   クァンウによって行われた。彼は加羅史を復元しながら、「日本書紀」への研究を見直した。かれはまず「日本書紀」に見られる任那(加羅)関連資料の中から「日本」が主体として書かれた内容の中では日本じゃなく「百済」を入れ替えると話の筋が通る所が沢山あると指摘した。例えば、4世紀末頃に「倭が加羅七国を占領した」という日本書紀の記述からみられる史実は実は「百済の加羅諸国の征服」だと解釈した。従って任那日本府は実は「任那百済府」だと主張した。「任那百済府」は百済が軍事的な目的で加羅地域に設置した軍指令府のようなものだと解釈した。

但し、このような解釈では、加羅諸国に対する百済の軍事行動は理解出来るが、百済の軍事行動でみられる倭兵の活動とか、任那日本府の関連記録に現れる倭系の人名はどう解釈すれば良いのかについては疑問が残る。

その疑問について、意見を出したのは、キムヒョングの研究だ。彼は百済軍と行動を一緒にする倭兵は傭兵のようなものだったし、その傭兵は百済が倭に先進文物を伝えたことに対する代価だった。倭系の人名は早くから倭から百済に移住して百済王の家臣になった倭系の百済人だと主張した。

5、外交使節説

以上の研究は任那日本府の実体について各々違う解釈を展開しているが、任那日本府の本質を倭の統治機関或いは百済の軍政機関のように、役所の機能をしたとみる面では一致する。しかし、「日本書紀」にみられる任那日本府の関連資料では統治或いは軍事的な役割が見られる記述は全く見えない。このような点に着目し、主観的な視角の研究を控え、「日本書紀」に見られる「任那日本府」に関連した資料についての批判的な研究を元に、より客観的な実体究明の研究が持ち上がった。

則ち「府」と言うものは「日本書紀」を解釈しようとした歴史観の産物に過ぎない。これの原形は「御事持」として、機関でも役所でもない使臣に当るものと解釈し、任那日本府を任那に派遣された倭の使臣として理解するようになった。

このような研究は1970年代から鈴木靖民、請田政幸、奥田尚、鬼頭清明などによって確立され、近年の日韓古代史学界から一番注目浴びている解釈として位置付けられている。
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