任那日本府についての若干違う意見!その2
投稿者: bakajaps 投稿日時: 2001/05/13 00:53 投稿番号: [4431 / 35788]
2、加羅の倭人説
日本国内での出先機関説への見直しの雰囲気の中から、また北朝鮮の研究に刺激された日本の研究者の立場から定義された修正論の一つが加羅の倭人説だ。井上秀雄は任那日本府に関連した一連の論考を通して、先史時代から加羅地域と日本列島の交流が活発だったし、日本列島に朝鮮半島出身の住民が移住したように、加羅地域でも一部の倭人が集団的に居住するようになった。任那日本府はそう言った倭人達乃至は倭人と半島人の混血人を統制する行政機関が成立したと解釈した。任那日本府については、近代の「領事館」と類似なものだと理解したが、大和政権の統制を受ける出先機関として理解できないし、加羅地域に住んでた倭人達の自治機関みたいなものだとみるのが妥当だと論じた。
このような解釈は加羅地域での倭人達の集団的な居住が文献的に、考古学的に証明できない弱点を持っている。山尾幸久の批判のように、井上が文献的な証拠として用いた「三国史」「魏書東夷伝」をはじめとする中国資料の解釈の間違いから生じたものに違い無い。
3、分国説
1963年北朝鮮のキム
ソクヒョンによって主張されたこの説は、任那日本府の問題だけじゃなく、古代日韓史と関連する日本学界の基本的な発想を完全にひっくり返す革命的な研究だった。
かれは先史時代以来三韓の住民達が日本列島に移住し、各々自分らの出身地と同じ国を建設し、母国に対しては分国のような位置にあったと前提した上で、この分国のなかで加羅人達が現在の広島東部と岡山にわたって建国した国が任那だと主張した。この任那を中心に西部では百済系の分国が、東北方面では新羅系の分国が、更に東には高句麗系の分国があったと言い、その東側に大和政権(倭)が位置したと主張した。
「日本書紀」に出る任那日本府に関連する史実はこの任那を中心として新羅、百済、高句麗、大和が互いに争いあったものと理解し、任那日本府は朝鮮半島にあった加羅とは全く関係の無いもので、日本列島にあった史実として規定した。則ち、大和政権が5世紀の半ば頃、西日本を統合する過程の中で加羅の分国であった任那国にその統治機関を設置したものが、任那日本府だという説だ。
古代日本の朝鮮半島進出論を完全にひっくり返す論として注目を浴びた論である。
この研究の可否については再論する余地が多い。しかし、古代日韓関係史の研究に大きな刺激になったし、基本的な発想についての見直しを呼び掛けたことについては評価すべきだ。
これは メッセージ 4430 (bakajaps さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a4ja4bcffckdcbfma4oa1a27ya4oa4la4ka4na4aba1a9_1/4431.html