任那日本府についての若干違う意見!
投稿者: bakajaps 投稿日時: 2001/05/13 00:24 投稿番号: [4430 / 35788]
1、出先機関説
古代日本が4ー6世紀の200年間に渡り朝鮮半島の南を近代植民地のように支配したが、その中心的な統治機関が任那日本府だと解釈した説で、所謂日本の「南鮮経営論」の骨格を成す見解だ。
このような解釈の始まりは「日本書紀」が編纂された8世紀頃叉は編纂直後の大和朝廷で行われた「日本書紀」の講議から始まったとも見られるが、1720年完成した「大日本史」から最初の形をみる事ができる。この書物は「日本書紀」の任那関連記録を無批判的に受け入れ、神功皇后の時代に三韓と加羅を平静し、任那に日本府を設置し、三韓または韓国を統治したと記してある。
このような認識は江戸時代の本居宣長のような国学者達の「朝鮮経営説」を経て、近代の日本が天皇主権国家を名乗る20世紀初頭の菅政友、津田左右吉、池内宏などによって確立され、1949年に発表された末松保和の「任那興亡史」により完成される。このような解釈は1945年日本の敗戦にも関わらず1960年代の末まで日本古代史または日韓関係史研究の通説として確固たる位置を占めていた。
しかし、1960年代の末から1970年代の初頭まで展開された「日米安保協約反対闘争」をきっかけに全面的に見直された。この時期にブームとなった東アジアへの関心は韓国史研究の見直しに繋がる。また、「出先機関説」が引用した「日本書紀」への批判と共に「好太王碑文」などへの見直し作業を行われた事は、日本古代史学界が成し遂げた大きな成果の一つだった。これらの研究によって「出先機関説」は通説的な位置を失い、中高校の日本史の教科書の記述は別にして、現在このような学説を主張したり、この説を根拠にする専門研究者は殆ど見当たらない状況となった。
これは メッセージ 4426 (kusotaka さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a4ja4bcffckdcbfma4oa1a27ya4oa4la4ka4na4aba1a9_1/4430.html