>相互扶助がなければ生きて
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2007/05/09 08:27 投稿番号: [34416 / 35788]
きていけなかった貧しい時代には、弱い立場の人を助ける利他の精神が、当然の規範として人々の心に根付いていた。急激な経済成長を遂げた後も、ある時期までは、親から子へその精神が引き継がれていた」
弱い者同士の助け合いというならわかる。結構難しい問題を含んでいるな、これは。
相互なら、相手を助けることのできないほどの弱者は相手から助けられるか。「こまったときには、相手からの扶助が期待なくてもその相手を助ける」という場合は、弱者同士の相互扶助ではなく、相対的に見れば、一種強者による弱者扶助。
絶対的貧困がなくなり、世の中が豊かになり、ホームレスになるのは本人の責任の部分がかなりおおきいとなると、2.26事件の青年将校みたいに、己の命をむなしゅうして他者を助けようなどという基盤がなくなる。豊かになったことにより、2.26事件のころの時代の貧乏に起因する社会的悲劇が激減した。その代わり、己をむなしゅうして他者を助けようという必要性が減ったことも事実。豊かになると人間は何かを失うとはこういうこと。
インドネシアのジャワ人社会で、ゴトンロヨンという相互扶助の伝統がある。田植えや刈り取り、灌漑その他集合力が必要なときは助け合うという伝統。水田稲作から生じた必然なのであろうが、弱者扶助とはちょっと違うみたいで、提供するサービスの多い人はそれだけ多くの援助を他者から得られるし、病気等で他者に無量サービスを提供できなかった者はそれだけ他者から受け取るサービスも実際はすくないらしいから、弱者への一方的補助でもなさそうである。
ネアンデルタール人の化石のなかに、明らかに身体障害者で、かつ当時としてはかなり高齢まで生きていた人の化石がみつかっているそうだから、弱者を保護する家族なり共同体が存在していたのであろう。
これは メッセージ 34400 (japanese_chosun さん)への返信です.
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