>>矛盾とか
投稿者: J_Fooker 投稿日時: 2003/05/20 02:24 投稿番号: [21963 / 35788]
>罵倒系と思われる僕の論理をいつもいつも論理整然としたものと理解してくれて
そう言うわけでもないよ。
ただ、「少しは考えているのか?」と思っただけ。
また以前のように狂犬化したら、そのときは対応を変えると思う。
>普通到来人というと縄文系やポリネシアンは除かれるよね
これは君の言う通り視点の問題ではある。
民族構成を中心に考えれば、日本人の祖先はいずれかの段階で、外部からの渡来人ということになる。
(韓国では到来人と書くのですか?)
>日本の中核なり、日本社会の歴史と文化を磨き上げた勢力
この定義に当てはまるのは、渡来人も含めて「日本人」としか言いようがない。
>朝鮮人と日本の弥生人の間では差別意識などの問題は浮上してなかった
ある程度まとまった意識として「朝鮮人」に該当する概念が出来た時点で、日本はもう弥生時代ではなかろう。
存在しないものに対する差別は不可能だろうね。
これもよく見られる誤解なんだけど、
「半島との直接交流以前には日本列島には文化と呼べるものはなかったはず」
というのは、あまりにも非現実的な考え方。
倭や大和が半島からの文物を受け入れて文化の花を咲かせたということは、その時点で、倭や大和が独自にそれなりの文化を持っていたことを意味している。
日本に成立したのは半島のコピー社会ではないしね。
>30万から50万人の百済人が日本へ移住したとか言われる
これは数に誇張があるんじゃないかと思っている。
大量の百済人が日本に逃げてきたというのはその通りなんだろうけど、50万人も渡来すれば、それは当時の日本の人口の1/10近くにもなる。
それだけ受け入れる体力は、日本にもなかっただろうし、50万人も短期間に渡海させる能力と体力があれば、百済はもともと負けてもいまい。
>日本書紀の書き手が百済系だとも言われてるからね
その説も良く聞かれるけど、結局
「分からない」
としか、今のところは言えんわな。
そう言えば、韓国では太安万侶韓国人説は定説らしいね。
(彼の出自は正確には分かっていない)
>外部の刺激がなかったとは思えない
そりゃ、あったんじゃないの?
>大和が百済を支配したかのような日本人学者の主張
私はあまりそうした主張を聞いたことがないけど、それは技術的制約から見て無理だと思う。
(百済→大和の支配も同じ理由で不可能)
それとも、任那日本府の話?
あれも畿内政権の植民地総督府のようなものとして存在したとは正直に言って思わない。
>天皇自ら出兵した事、帰りに歌ったとされる歌が百済への思いが切実
この辺は想像力の世界になってくるけど、
大和政権内には、恐らく、時間をかけて構築された百済閥のようなものがあったと思う。
だから、白村江への派兵もおそらく国内事情としてそれが必要だったんだと思うよ。
>侵略のみが海外進出だと思っている君の思想
私にはそんな思想はない。
私が紹介した東南アジアの日本町というは侵略の結果できたものじゃないぞ。
>朝鮮王朝前半まで多くの商人の活動があった
君の表現を借りるなら、
「それだけ?他には?」
ということになるね。
コリアンの商人を貶めるつもりはないので話を元に戻すと、
「自分のほうが世界観が広い」
という誤解(偏見)を基に、日本人の閉鎖性を論じるのは馬鹿げている
というだけのことですな。
>君にはやはり理解してもらえなかったような
説明を受けてもいないものを理解できるような超能力は持ち合わせていない。
それと、在日コリアンを同胞とはみなさない韓国人(S)が、このトピックにいるね。
>東洋にはなかった平等思想が朝鮮に持ち込んできた
それにしては朝鮮王朝は不平等のモデルのような社会だね。
それと、そのことは、近代西洋思想の受け入れに際して、日本人の翻訳に依存したとい事実を覆せるようなものではないよ。
>自らの努力からフランス、バチカンなどと接し
そう言えば、日本も少年を4人バチカンに派遣してたな。(16世紀に)
戦国大名の伊達正宗は、17世紀初頭に、部下(支倉常長)をヨーロッパに派遣したりもしている。
「日本人の狭い世界観に基づく閉鎖性」などというのが、幼稚な偏見であることは理解できたかね?
そう言うわけでもないよ。
ただ、「少しは考えているのか?」と思っただけ。
また以前のように狂犬化したら、そのときは対応を変えると思う。
>普通到来人というと縄文系やポリネシアンは除かれるよね
これは君の言う通り視点の問題ではある。
民族構成を中心に考えれば、日本人の祖先はいずれかの段階で、外部からの渡来人ということになる。
(韓国では到来人と書くのですか?)
>日本の中核なり、日本社会の歴史と文化を磨き上げた勢力
この定義に当てはまるのは、渡来人も含めて「日本人」としか言いようがない。
>朝鮮人と日本の弥生人の間では差別意識などの問題は浮上してなかった
ある程度まとまった意識として「朝鮮人」に該当する概念が出来た時点で、日本はもう弥生時代ではなかろう。
存在しないものに対する差別は不可能だろうね。
これもよく見られる誤解なんだけど、
「半島との直接交流以前には日本列島には文化と呼べるものはなかったはず」
というのは、あまりにも非現実的な考え方。
倭や大和が半島からの文物を受け入れて文化の花を咲かせたということは、その時点で、倭や大和が独自にそれなりの文化を持っていたことを意味している。
日本に成立したのは半島のコピー社会ではないしね。
>30万から50万人の百済人が日本へ移住したとか言われる
これは数に誇張があるんじゃないかと思っている。
大量の百済人が日本に逃げてきたというのはその通りなんだろうけど、50万人も渡来すれば、それは当時の日本の人口の1/10近くにもなる。
それだけ受け入れる体力は、日本にもなかっただろうし、50万人も短期間に渡海させる能力と体力があれば、百済はもともと負けてもいまい。
>日本書紀の書き手が百済系だとも言われてるからね
その説も良く聞かれるけど、結局
「分からない」
としか、今のところは言えんわな。
そう言えば、韓国では太安万侶韓国人説は定説らしいね。
(彼の出自は正確には分かっていない)
>外部の刺激がなかったとは思えない
そりゃ、あったんじゃないの?
>大和が百済を支配したかのような日本人学者の主張
私はあまりそうした主張を聞いたことがないけど、それは技術的制約から見て無理だと思う。
(百済→大和の支配も同じ理由で不可能)
それとも、任那日本府の話?
あれも畿内政権の植民地総督府のようなものとして存在したとは正直に言って思わない。
>天皇自ら出兵した事、帰りに歌ったとされる歌が百済への思いが切実
この辺は想像力の世界になってくるけど、
大和政権内には、恐らく、時間をかけて構築された百済閥のようなものがあったと思う。
だから、白村江への派兵もおそらく国内事情としてそれが必要だったんだと思うよ。
>侵略のみが海外進出だと思っている君の思想
私にはそんな思想はない。
私が紹介した東南アジアの日本町というは侵略の結果できたものじゃないぞ。
>朝鮮王朝前半まで多くの商人の活動があった
君の表現を借りるなら、
「それだけ?他には?」
ということになるね。
コリアンの商人を貶めるつもりはないので話を元に戻すと、
「自分のほうが世界観が広い」
という誤解(偏見)を基に、日本人の閉鎖性を論じるのは馬鹿げている
というだけのことですな。
>君にはやはり理解してもらえなかったような
説明を受けてもいないものを理解できるような超能力は持ち合わせていない。
それと、在日コリアンを同胞とはみなさない韓国人(S)が、このトピックにいるね。
>東洋にはなかった平等思想が朝鮮に持ち込んできた
それにしては朝鮮王朝は不平等のモデルのような社会だね。
それと、そのことは、近代西洋思想の受け入れに際して、日本人の翻訳に依存したとい事実を覆せるようなものではないよ。
>自らの努力からフランス、バチカンなどと接し
そう言えば、日本も少年を4人バチカンに派遣してたな。(16世紀に)
戦国大名の伊達正宗は、17世紀初頭に、部下(支倉常長)をヨーロッパに派遣したりもしている。
「日本人の狭い世界観に基づく閉鎖性」などというのが、幼稚な偏見であることは理解できたかね?
これは メッセージ 21920 (bakajaps さん)への返信です.