なぜ日本人は、嫌われるのか?

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fight554氏、レスありがとう

投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/03/15 04:10 投稿番号: [2008 / 35788]
いちおう、素人ながら東南アジアの勉強をやっています。1928年のインドネシアの青年の誓い(Sumpah   Pemuda)でインドネシアが独立の運動を始めたことは韓国カテにも何度か書きました。(persatuan   Indonesiaーひとつのインドネシア)。そのときに現在のインドネシア語を将来の国語に決めたことも。

デビはスカルノの第三夫人。第一夫人はファトマワティ(独立宣言の時にスカルノを助けた人です。今でも国母として国民に慕われています。彼女の名をとった病院がジャカルタにあります)、第二夫人はクスティニ。第一夫人の前にも、恩師の娘と、その後インギット・ガルナシという人と結婚してます。

関東軍指導者というと、満州事変の騒動人石原寛二のことなのかな、それともそのあとの武藤章などかな。石原が後に武藤等の若手に中国の戦線を広げるなといったところ、私らは閣下がやったことを手本にしてるんですがねえ、などといわれて、効果がなかったというはなしもある。ただしこれは中国戦線だけの話でしょ。まあ、日米開戦に関係がないことはないですが。

チャンドラ・ボースは日本とタイアップしましたよね。最後は日本軍の飛行機が台湾で墜落したときに死んだのでしたかね。
銀座のカレー屋ナイルの今はなきおやじ、A.M.ナイルが「知られざるインド独立闘争」という本で、ボースのことやインドの独立運動と日本の関わりについて書いています。この本はインパール作戦のことも書いていますが、実際にインド国民軍が日本軍と共にどのようにビルマで戦ったかはその一部が「秘録大東亜戦争史」(ビルマ編)(冨士書苑)に載っています。

また英軍包囲下のラングーンからいかにして約百名のインド国民軍女性部隊を小川三郎少佐が救出したかもすでに投稿いています。

今も日本語を話すインドの秘境ナガ高地(そこにインパールがある)の人たちのこともすでに書きました。

ベトナムの飢饉のこともすでに別トピで書いています。

終戦後、インドネシアのスラマンのブル刑務所に収容された民間の日本人が後にやってきたイギリス軍のせいでインドネシア人の怒りを買い、百数十人が竹槍や銃で虐殺されたスラマン事件といういのをしってますか。これは一度書こうとおもっていたのですが。瀕死の中で監房のかべに血で書いたことば。監房は血の海だったらしい。
「われら日本人36人、インドネシア独立のために喜んで死ぬ。インドネシア独立万歳」自分たちを虐殺しようとしているインドネシア人のために独立万歳を言う日本人。これを知ったとき私はふるえを感じたね。軍人ではなく民間人。そのうちの一人は現地森永乳業の阿部領二氏(山形県出身)。36人の名前が血で書いてあったらしい。こんなことできる?私は日本人に誇りを感じたね。誰がなんといおうとも。

私は戦争も美化すべきは美化する、いや、誇るべきことは誇る。なんの臆するところもない。
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