なぜ日本人は、嫌われるのか?

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回答ありがとう!

投稿者: BrandenburgerTor_G 投稿日時: 2001/02/26 00:00 投稿番号: [1453 / 35788]
まず、日本と韓国の大きな違いについての貴方の指摘はある面では正しいし、ある面では正しく有りません。それは所謂「現実主義」です。(機会主義、具体化主義含)

まず、薩長連合勢力の若い武士達を考えましょう。彼等が幕府を打ち倒す手段として使ったのが、尊皇攘夷論であります。その根幹にあったのは、天皇制への正当性という理想です。結局、天皇に理想的な統治者としては役割は担わせないが、表面上では、立派な役割を果たせるのです。明治維新の根幹には現実主義が見えるのではなく、理想主義が見えます。「君主による統治」

それから、現実性が見えるのは薩長連合勢力ではなく、幕府からなのです。「藩書調所」の設置、遺米使節団の派遣などから見られるように、幕府はすでに、近代化への道を探りはじめていたのです。勿論、明治新政府も岩倉使節団とかを派遣しますが、幕府を打ち倒す時のものではありません。維新のそのものは、過去への回帰です。尊皇攘夷論の理想主義だったのです。

また、薩長勢力が、求めたのは、人材の登用です。人材の登用っていうのは、エリートによ国家統治です。儒教を誤解しないで下さい。儒教は官僚採択の道具として学問を使ったのではなく、学問をみにつけた人達を登用して使ったのです。エリートを集める方法として使った国家試験制度。これは間違い無く儒教国家の特徴です。下級武士達の学問を個人レベルに止めず、国家官僚として活用できるようにしたのです。それは名前だけが違うだけで、科挙制度と全く同じものだったのです。

商業規範の伝統については、町人階級を認めることにより、貴方の意見と俺の意見は一致します。

地方分権については、薩摩と長州藩の下級武士が教養をみにつけ、明治維新とういう結果を出したことで、貴方の意見と一致する所です。しかし、地方の武士が明治維新の時までどうやって資本主義の理念をみにつける事が出来たのでしょうか!彼等は経済的に苦しみながら、身分制の下で抑圧された勢力です。彼等が、ものが言えたのは、経済的な余裕からじゃなく、知識からであったのです。江戸時代に武士達の生活をみると決まった給料だけで生活を強いられたのです。一切の経済活動が禁止されたのです。そういう階級の出身がどうやって資本主義への理解を得られたのでしょうか?

明治維新後の彼等の政策は大きく変わります。そこには、儒教だけでは説明しきれない洋学の知識があります。しかし、彼等の根幹には常に儒学の思想が潜んでいたのです。もちろん、経済的の成功には前述のように、町人階級の活躍が大きい。しかし、明治維新の主人公達には、そう言った資本主義への理解は乏しかったのです。
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