中央集権化した理由
投稿者: tihaya3 投稿日時: 2001/02/25 11:13 投稿番号: [1444 / 35788]
江戸時代から明治時代に中央集権化した理由と、どうしてそれが出来たのかという理由の二つがあると思います。
Baka_Killer_2001さんがその答えを簡素に答えていますから、私はそれに付け加えるということで、私の意見を申し上げます。
中央集権化した理由は一番大きなものは対外恐怖心でありましょう。当時の西欧社会の行動を見ていれば、また江戸時代は鎖国制度とはいっても幾らか海外情報は入ってきていますし、幕府も積極的に情報活動をしています。何度か西欧社会と戦争をして、このままではかなわないと思った判断は私は是とします。
フランスが幕府を援助して国内戦争に突入する前に、常識ある指導者が幕府にお下がり願った様子がよく読み取れます。これなんかも儒教の原理からは演繹できません。
さらに海外を回った使節団が西欧文化にたまげて、それを導入してしまおうと考えたのも是とします。さらに前のしがらみを捨てるために江戸時代を暗黒だと規定して、いままでのことをなかったことにしたのも西欧の飢狼の前の現実的行動として是とします。何より民族の独立を保つことが第一だったのでしょう。
論理的な不整合は幾つかあります。一つは日本が西欧の侵略から逃れた後での朝鮮民族への処遇です。名前の問題をみても決して戦後言われていたような状態でもなく、西欧法を勉強しているわけではない朝鮮人の弁護士そのものを容認している点から見ても、朝鮮の話は乱暴にこうだったとは言い切れない点も数多くあります。
もう一つは開国が終わって力がついたら、再び鎖国をするという暗黙の黙約で開国をした節が見られる点です。これが昭和期のまるで先祖がえりのような復古主義の根本原因でないかと私は思っています。なおこれらの問題は儒教の問題と外れますから、今回はこれ以上述べません。
その西欧文化の背景にキリスト教文明があり、それが社会の連帯感の元になっていると考えたようです。しかしキリスト教のような絶対一神教の宗教は大きく言うと三つの理由から、日本人が受け入れる余地がありませんでした。
一つは無意識化した自然信仰で汎神的に何でも捕らえるので、絶対であるという点をどうしても是認出来ないのです。
二つ目は江戸時代に発する「治教一致」の原則です。日本人は内心と行為は一致すべきであると考えています。行為と思想とを分ける内心の自由という概念は行為と思想を一致しなくてもいい思想になりえますから、あんまり納得できていないのです。これは先ほど書いた「治教一致の原則」を踏まえれば理解しやすいのですが、忠誠とは行為でなく、内心の忠誠まで含めたものだと考えていますから、神と国家という二つの忠誠があることは、「治教一致の原則」と一致しなくなって、社会統制が取れなくなるのです。この点も本来の儒教とはまったく違います。最後は江戸時代のキリシタン禁制の伝統の影響もあったと思われます。
以上の理由により、現実主義者であった明治の指導者たちは社会の連帯感を持たせるものとして伝統的な権威であった天皇をひどい否定的な言い方をすれば、いわば政治的に利用したのも無理からぬ点であると思います。すでに徳川幕府自体が自らの権威をつけるのに、朝廷から征夷大将軍という名前をもらったからだといっていますから。これもある意味で伝統的であったと言えます。
天皇の権威は中華社会の皇帝とはまったく違ったものです。わかりやすく言うと権威はあれど、権力はないとでもいうもので、これも儒教の本家たる中華の伝統とは様相をまったく違っています。天皇をまるで個人会社の社長と同じ権力と権威の両方を持ったものだという誤解が、いまだに続いていますが、その誤解の一部は中国型皇帝とのアナロジーで出てきているものであろうと思います。
Baka_Killer_2001さんがその答えを簡素に答えていますから、私はそれに付け加えるということで、私の意見を申し上げます。
中央集権化した理由は一番大きなものは対外恐怖心でありましょう。当時の西欧社会の行動を見ていれば、また江戸時代は鎖国制度とはいっても幾らか海外情報は入ってきていますし、幕府も積極的に情報活動をしています。何度か西欧社会と戦争をして、このままではかなわないと思った判断は私は是とします。
フランスが幕府を援助して国内戦争に突入する前に、常識ある指導者が幕府にお下がり願った様子がよく読み取れます。これなんかも儒教の原理からは演繹できません。
さらに海外を回った使節団が西欧文化にたまげて、それを導入してしまおうと考えたのも是とします。さらに前のしがらみを捨てるために江戸時代を暗黒だと規定して、いままでのことをなかったことにしたのも西欧の飢狼の前の現実的行動として是とします。何より民族の独立を保つことが第一だったのでしょう。
論理的な不整合は幾つかあります。一つは日本が西欧の侵略から逃れた後での朝鮮民族への処遇です。名前の問題をみても決して戦後言われていたような状態でもなく、西欧法を勉強しているわけではない朝鮮人の弁護士そのものを容認している点から見ても、朝鮮の話は乱暴にこうだったとは言い切れない点も数多くあります。
もう一つは開国が終わって力がついたら、再び鎖国をするという暗黙の黙約で開国をした節が見られる点です。これが昭和期のまるで先祖がえりのような復古主義の根本原因でないかと私は思っています。なおこれらの問題は儒教の問題と外れますから、今回はこれ以上述べません。
その西欧文化の背景にキリスト教文明があり、それが社会の連帯感の元になっていると考えたようです。しかしキリスト教のような絶対一神教の宗教は大きく言うと三つの理由から、日本人が受け入れる余地がありませんでした。
一つは無意識化した自然信仰で汎神的に何でも捕らえるので、絶対であるという点をどうしても是認出来ないのです。
二つ目は江戸時代に発する「治教一致」の原則です。日本人は内心と行為は一致すべきであると考えています。行為と思想とを分ける内心の自由という概念は行為と思想を一致しなくてもいい思想になりえますから、あんまり納得できていないのです。これは先ほど書いた「治教一致の原則」を踏まえれば理解しやすいのですが、忠誠とは行為でなく、内心の忠誠まで含めたものだと考えていますから、神と国家という二つの忠誠があることは、「治教一致の原則」と一致しなくなって、社会統制が取れなくなるのです。この点も本来の儒教とはまったく違います。最後は江戸時代のキリシタン禁制の伝統の影響もあったと思われます。
以上の理由により、現実主義者であった明治の指導者たちは社会の連帯感を持たせるものとして伝統的な権威であった天皇をひどい否定的な言い方をすれば、いわば政治的に利用したのも無理からぬ点であると思います。すでに徳川幕府自体が自らの権威をつけるのに、朝廷から征夷大将軍という名前をもらったからだといっていますから。これもある意味で伝統的であったと言えます。
天皇の権威は中華社会の皇帝とはまったく違ったものです。わかりやすく言うと権威はあれど、権力はないとでもいうもので、これも儒教の本家たる中華の伝統とは様相をまったく違っています。天皇をまるで個人会社の社長と同じ権力と権威の両方を持ったものだという誤解が、いまだに続いていますが、その誤解の一部は中国型皇帝とのアナロジーで出てきているものであろうと思います。
これは メッセージ 1441 (tihaya3 さん)への返信です.