違和感
投稿者: tuka_chan 投稿日時: 2001/02/24 03:42 投稿番号: [1423 / 35788]
全体的に「その様な見方もある」ということは理解できますが、私などからすると違和感があります。
明は宗主国と認めるが清は野蛮国だから認めない、というのであれば清と朝鮮の関係は何と呼べばよいのでしょうか。清によって中華が滅亡し、朝鮮が小中華となったというのであれば朝鮮は清を教化する義務があったはずです。逆に言うと朝鮮が清を教化して初めて朝鮮が小中華として認められる存在になるのではないでしょうか。朝鮮が清を教化した実績にはどの様なものがあるのでしょうか?
また国と国との結びつきとしては元と高麗の方が強かったのではないでしょうか。忠烈王はフビライの娘婿ですし、忠烈王の進言で「征東行省」を設置して弘安の役が引き起こされたのですから。韓国では元と高麗の関係をどの様に認識されているのでしょうか。
ところで儒教において言論の自由は保障されるものなのでしょうか。言論の自由があるのに「党争」の様な対立相手を弾圧するような政治闘争が発生するとは思えないのですが。言論の自由がないからこそ下手なことを言えないので組織が硬直するのではないでしょうか。李朝末期の政治腐敗はこれにあてはまると思うのですが、如何でしょうか。
日本における明治以後の儒教についても違和感があります。なぜなら儒教が徹底されていれば、天皇は専制君主になっていたはずです。しかし実際には天皇は専制君主ではありませんし、拒否権すらほとんど発動していません。「天皇を敬う」という思想は確かに儒教に似ている面はありますが、儒教国としての政治体制とは違うのでは?と思います。
私は思想について詳しいわけではありませんが、歴史的な事象との違和感をどうしても拭えません。
これは メッセージ 1413 (BrandenburgerTor_G さん)への返信です.
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