>韓国教科書に捏造はありません。5
投稿者: sasaki2gou 投稿日時: 2002/08/06 08:54 投稿番号: [72420 / 203793]
これ重要とおもいます
ハングルの普及は日本統治の成果
日本語教育に関する各教科書の記述を第4表に示す。併合 時、日本語の教育が強制されたことは書いてあるが、朝鮮語も必修科目であったことは書いていない。
第4表 日本語、朝鮮史に関する各教科書の記述
併 合 時 日中戦争発生時
韓国教科書
朝鮮語の代わりに日本語を強制された
朝鮮語教育と朝鮮史教育は一切禁止され、抵抗した学校は閉鎖 された
大阪図書(中学)
学校では日本語や日本歴史を強制的に教えました
東京図書(中学)
朝鮮史を教えることが禁止され、日本史や日本語を教えた
日本語の使用を強力に推し進めた
教育出版(中学)
日本語を国語として強制し朝鮮の歴史や地理より、日本の歴史 や地理を教えた
清水書院(中学)
日中戦争が始まった頃には日本語の使用を強制し
山川出版(高校) 日本語教育の徹底
日本が普通学校(小学校)で朝鮮語教育を止めたのは1941年 (昭和16年)である。1938年(昭和13年)には選択制になったが、朝鮮人校長の学校ではすぐ朝鮮語教育を止めたのに対し、日本人校長の学校の方が続けたとの事であ る。(八木信雄『日本と韓国』日韓文化出版社)いずれにせよそれまでの30年近くは朝鮮語は必修科目だった。
又官庁では1939年(昭和14年)まで朝鮮語の学習を奨励する 朝鮮語奨励費が支出されており、約30年為政者は朝鮮語を学び、朝鮮人には日本語を学ばせ、意思の疎通を図るよう努力したのである。
開国以前の朝鮮の正式の文書はすべて漢文で書かれていた。 その為ハングルは諺文と軽視され、寺子屋に当たる書堂でも教えない所もあった。しかし表音文字であるので、字数が少なく、自然にかなり普及していた。
1882年(明治15年)アメリカへの開港により、急速にキリス ト教が流入した。彼らは布教にハングルを使った事により、ハングルの普及に貢献した。
新聞にハングルが登場するのは、1886年(明治19年)発行さ れた『漢城週報』である。朴泳孝の要請を受け、編集に携わっていた井上角五郎が、福沢諭吉の「ハングルを使って日本の仮名混じり文の様な文体を作り、文明化しなけ ればならぬ」との意見を入れ、漢字とハングルの混淆文で書いたのが始まりである。
ハングルが急速に普及するのは日清戦争で韓国が清の宗主権 を脱してからである。ナショナリズムの高揚する中で、ハングルを使った新聞が次々に発行された。又公用語としてのハングルが初めて認知された。
1910年(明治43年)併合後の日本は学校教育では朝鮮語を必 修課目とした。この教科書の作成を通じ、綴字法の統一、標準語の制定、普及が進んだのである。勿論韓国教科書で主張する朝鮮語研究会、朝鮮語学会が大きく貢献した 事は言うまでもない。
朝鮮語は1937年(昭和12年)まで必修であり、その間に初等 教育の普及は大幅に進んだ。併合時書堂を含め、10%程度だった就学率は1937年には 36%に達している。これと共にハングルは普及したのである。ハングルの普及に最も 貢献したのは、朝鮮人自身としても、日本の貢献も合わせて評価すべきである。
ハングルの普及は日本統治の成果
日本語教育に関する各教科書の記述を第4表に示す。併合 時、日本語の教育が強制されたことは書いてあるが、朝鮮語も必修科目であったことは書いていない。
第4表 日本語、朝鮮史に関する各教科書の記述
併 合 時 日中戦争発生時
韓国教科書
朝鮮語の代わりに日本語を強制された
朝鮮語教育と朝鮮史教育は一切禁止され、抵抗した学校は閉鎖 された
大阪図書(中学)
学校では日本語や日本歴史を強制的に教えました
東京図書(中学)
朝鮮史を教えることが禁止され、日本史や日本語を教えた
日本語の使用を強力に推し進めた
教育出版(中学)
日本語を国語として強制し朝鮮の歴史や地理より、日本の歴史 や地理を教えた
清水書院(中学)
日中戦争が始まった頃には日本語の使用を強制し
山川出版(高校) 日本語教育の徹底
日本が普通学校(小学校)で朝鮮語教育を止めたのは1941年 (昭和16年)である。1938年(昭和13年)には選択制になったが、朝鮮人校長の学校ではすぐ朝鮮語教育を止めたのに対し、日本人校長の学校の方が続けたとの事であ る。(八木信雄『日本と韓国』日韓文化出版社)いずれにせよそれまでの30年近くは朝鮮語は必修科目だった。
又官庁では1939年(昭和14年)まで朝鮮語の学習を奨励する 朝鮮語奨励費が支出されており、約30年為政者は朝鮮語を学び、朝鮮人には日本語を学ばせ、意思の疎通を図るよう努力したのである。
開国以前の朝鮮の正式の文書はすべて漢文で書かれていた。 その為ハングルは諺文と軽視され、寺子屋に当たる書堂でも教えない所もあった。しかし表音文字であるので、字数が少なく、自然にかなり普及していた。
1882年(明治15年)アメリカへの開港により、急速にキリス ト教が流入した。彼らは布教にハングルを使った事により、ハングルの普及に貢献した。
新聞にハングルが登場するのは、1886年(明治19年)発行さ れた『漢城週報』である。朴泳孝の要請を受け、編集に携わっていた井上角五郎が、福沢諭吉の「ハングルを使って日本の仮名混じり文の様な文体を作り、文明化しなけ ればならぬ」との意見を入れ、漢字とハングルの混淆文で書いたのが始まりである。
ハングルが急速に普及するのは日清戦争で韓国が清の宗主権 を脱してからである。ナショナリズムの高揚する中で、ハングルを使った新聞が次々に発行された。又公用語としてのハングルが初めて認知された。
1910年(明治43年)併合後の日本は学校教育では朝鮮語を必 修課目とした。この教科書の作成を通じ、綴字法の統一、標準語の制定、普及が進んだのである。勿論韓国教科書で主張する朝鮮語研究会、朝鮮語学会が大きく貢献した 事は言うまでもない。
朝鮮語は1937年(昭和12年)まで必修であり、その間に初等 教育の普及は大幅に進んだ。併合時書堂を含め、10%程度だった就学率は1937年には 36%に達している。これと共にハングルは普及したのである。ハングルの普及に最も 貢献したのは、朝鮮人自身としても、日本の貢献も合わせて評価すべきである。
これは メッセージ 72419 (sasaki2gou さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a4ja4bc4z9qbfma4oa1a27ya4oa4la4ka4na4aba1a9_1/72420.html