>韓国教科書に捏造はありません。6
投稿者: sasaki2gou 投稿日時: 2002/08/06 09:00 投稿番号: [72421 / 203793]
すまんがこれも読んで欲しい
「醜い韓国人 <歴史検証編>」 朴泰赫 加瀬英明 1995年 光文社
朴
欧米諸国の植民地で、あれほど多くの学校を建立し、庶民にまで教育を受ける機会を与えたのは、例がありません。植民地の民衆に、あれほどの教育の恩恵を与えた国は、日本しかなかったと思います。日本が唱えた「内鮮一体」は、まったくの嘘ではなかった、と思いますよ。もっとも、韓国人のなかには、当時、日本が「内鮮一体」といいながら、多くの学校を建てたのは、「愚民化政策」のためだった、という人が多いんです。しかし、小、中学校から、高等専門学校や、京城帝国大学のどこにも、「愚民化政策」といえる点は見いだせませんし、韓国に渡った日本人が、自分たちの子供を同じ学校に入れたんですから、まさか、「愚民化教育」を受けさせたはずがなかったでしょう。小、中学校は、日本人と韓国人の子弟向けに分かれていたものの、同じ教課を学んだのだったし、私の田舎の小学校にも、日本人の子供たちが通っていましたよ。
加瀬
日本は、台湾にも、韓国にも、多くの小学校をつくりました。それに、台湾も、韓国も、日本の一部であって、欧米のいうような植民地だという意識がなかったんですよ。心ない差別があったことは、事実です。しかし、「一視同仁」ということが強調されましたし、同胞という考えかたが、強かったんです。もっとも、こういった考えかたが行きすぎて、戦時色が濃くなった1930年代後半から、上から性急な「皇民化運動」を強いることになってしまったんですね。
韓国をとれば、日韓併合のときには、公立の普通学校(小学校)は、100校に満たなかった、総督府のもとで、まず3面に1校というと、3つの村ごとに1校建設することを計画し、1913年までに実現しています。当時の朝鮮には、ざっと2500の面(村)がありました。つぎに、一つの村に小学校一つをつくることを目標にしましたが、1936年に計画が完成しました。太平洋戦争が始まった翌年の1942年に、1面2校を自標として掲げました。そして、全土でおよそ5000校の小学校が、つくられました。
朴
教育だけをとっても、日本は植民地時代の他の宗主国と、まったく違っていました。今日の韓国の近代国家としての基礎が、日本統治時代に築かれたことは、否定できません。これが、もし、ロシアの一共和国となっていたとしたら、いったい、どうなっていたでしょうか。かつての旧ソ連の辺境にあった共和国と変わらなかったことでしょう。
今の韓国の若者たちは、わが国の歴史も、ハングルも書堂で教えていた、と思っています。李朝時代の韓国は、中国をひたすら崇めて、自ら「小中華と称していることを誇りとしていました。ハングルは、婦人や子供が使う字として、蔑まれていました。今日でこそ、「ハングル」は発音のまま読み書きができる、世界でもっとも合理的で、科学的な文字だといって、誇っていますが、ハングルは日韓併合以前は、公文書にも、祝祭祀文にも、まったく使われなかったんですよ。
加瀬
総督府は、このうえの中学校用の「高等朝鮮語読本』も、発行していました。これは、5巻です。私がこの教科書について、新聞に話したら、横浜市に住んでいるK氏から手紙を貰いました。K氏は日本人です。K氏は、昭和10年に全羅南道麗水邑の小学校に通学したが、「ハングル」の授業があったということでした。そして、昭和7年に韓国の小学校を卒業した。知人の当時の通信簿の写しを送ってくれました。それが、修身、算術、国語、歴史、地理から、職業まで全課目が「甲」なんですが、「朝鮮語」という欄だけに「乙」と記されていました。K氏は手紙のなかで、「日本の教育は朝鮮語抹殺であったとの主張は、その教育政策を検証すれば、誤りであることはあきらかです。太平洋戦争下の緊迫した時代のみを取り上げるのは、誤っています」と書いています。また、K氏からの便りによれば、教員を養成する女子師範学校では、太平洋戦争開戦後も、生徒にチマ、チョゴリをつくることを教えるための課目があった、ということです。
朴
今日、韓国人が、全員、「ハングル」を読み書きできるようになったのは、日本統治時代に小学校で「ハングル」を教えたことから、始まっています。これは、客観的な事実であって、否定することはできませんよ。日韓併合以前には、「ハングル」があったにもかかわらず、「常人」(サンノム)の9割以上が、読み書きできませんでした。
「醜い韓国人 <歴史検証編>」 朴泰赫 加瀬英明 1995年 光文社
朴
欧米諸国の植民地で、あれほど多くの学校を建立し、庶民にまで教育を受ける機会を与えたのは、例がありません。植民地の民衆に、あれほどの教育の恩恵を与えた国は、日本しかなかったと思います。日本が唱えた「内鮮一体」は、まったくの嘘ではなかった、と思いますよ。もっとも、韓国人のなかには、当時、日本が「内鮮一体」といいながら、多くの学校を建てたのは、「愚民化政策」のためだった、という人が多いんです。しかし、小、中学校から、高等専門学校や、京城帝国大学のどこにも、「愚民化政策」といえる点は見いだせませんし、韓国に渡った日本人が、自分たちの子供を同じ学校に入れたんですから、まさか、「愚民化教育」を受けさせたはずがなかったでしょう。小、中学校は、日本人と韓国人の子弟向けに分かれていたものの、同じ教課を学んだのだったし、私の田舎の小学校にも、日本人の子供たちが通っていましたよ。
加瀬
日本は、台湾にも、韓国にも、多くの小学校をつくりました。それに、台湾も、韓国も、日本の一部であって、欧米のいうような植民地だという意識がなかったんですよ。心ない差別があったことは、事実です。しかし、「一視同仁」ということが強調されましたし、同胞という考えかたが、強かったんです。もっとも、こういった考えかたが行きすぎて、戦時色が濃くなった1930年代後半から、上から性急な「皇民化運動」を強いることになってしまったんですね。
韓国をとれば、日韓併合のときには、公立の普通学校(小学校)は、100校に満たなかった、総督府のもとで、まず3面に1校というと、3つの村ごとに1校建設することを計画し、1913年までに実現しています。当時の朝鮮には、ざっと2500の面(村)がありました。つぎに、一つの村に小学校一つをつくることを目標にしましたが、1936年に計画が完成しました。太平洋戦争が始まった翌年の1942年に、1面2校を自標として掲げました。そして、全土でおよそ5000校の小学校が、つくられました。
朴
教育だけをとっても、日本は植民地時代の他の宗主国と、まったく違っていました。今日の韓国の近代国家としての基礎が、日本統治時代に築かれたことは、否定できません。これが、もし、ロシアの一共和国となっていたとしたら、いったい、どうなっていたでしょうか。かつての旧ソ連の辺境にあった共和国と変わらなかったことでしょう。
今の韓国の若者たちは、わが国の歴史も、ハングルも書堂で教えていた、と思っています。李朝時代の韓国は、中国をひたすら崇めて、自ら「小中華と称していることを誇りとしていました。ハングルは、婦人や子供が使う字として、蔑まれていました。今日でこそ、「ハングル」は発音のまま読み書きができる、世界でもっとも合理的で、科学的な文字だといって、誇っていますが、ハングルは日韓併合以前は、公文書にも、祝祭祀文にも、まったく使われなかったんですよ。
加瀬
総督府は、このうえの中学校用の「高等朝鮮語読本』も、発行していました。これは、5巻です。私がこの教科書について、新聞に話したら、横浜市に住んでいるK氏から手紙を貰いました。K氏は日本人です。K氏は、昭和10年に全羅南道麗水邑の小学校に通学したが、「ハングル」の授業があったということでした。そして、昭和7年に韓国の小学校を卒業した。知人の当時の通信簿の写しを送ってくれました。それが、修身、算術、国語、歴史、地理から、職業まで全課目が「甲」なんですが、「朝鮮語」という欄だけに「乙」と記されていました。K氏は手紙のなかで、「日本の教育は朝鮮語抹殺であったとの主張は、その教育政策を検証すれば、誤りであることはあきらかです。太平洋戦争下の緊迫した時代のみを取り上げるのは、誤っています」と書いています。また、K氏からの便りによれば、教員を養成する女子師範学校では、太平洋戦争開戦後も、生徒にチマ、チョゴリをつくることを教えるための課目があった、ということです。
朴
今日、韓国人が、全員、「ハングル」を読み書きできるようになったのは、日本統治時代に小学校で「ハングル」を教えたことから、始まっています。これは、客観的な事実であって、否定することはできませんよ。日韓併合以前には、「ハングル」があったにもかかわらず、「常人」(サンノム)の9割以上が、読み書きできませんでした。
これは メッセージ 72420 (sasaki2gou さん)への返信です.
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