バランス
投稿者: tenvapas_1 投稿日時: 2002/07/31 15:32 投稿番号: [70838 / 203793]
>今の日本でも言論を規制への動きがあるし・・・略・・・しかし、そのような状況があってもそれに負けずに活動する言論人がいるじゃないか。
これは多分メディア規正法案に対する議論のことだよね。
あなたはバランスという言葉を使います。
私は、そのバランスと言う言葉は議論を経た協調という言葉に置き換えたい。
同意していただけるだろうか?
というのも、バランスと言う言葉は何かわかったようなわからないような、曖昧さを含んでいるからだ。
民主国家においては様々な考え方がある。中には民主主義を否定する考え方もあるだろう。例えば共産主義などが一例だろうか。
私が何故バランスという言葉を置き換えたかというと、思想が違っても、議論を重ね、認めるべきところは認め、批判すべきところは批判する議論を経て、妥協点を見つけ、異なった考え方の人間とも協調を保つ。それが大切だからだからだ。
『親日派のための弁明』という本に関してだけでなく、親日的な報道が規制されている韓国において、あなたの言う、「民主主義を根幹から揺さぶる言論の自由は考えるべきだと思う。」の意味の中に親日思想が含まれていないことを私が切望することと、そういう考えを持っている人間がいることは許容して欲しい。
次に
>民主主義そのものを認める上で話せば、民主主義を根幹から揺さぶる言論の自由は考えるべきだと思う。限度なしの言論の自由から何が得られると思う?
議論を整理したい。
あなたはこの後韓国と北朝鮮の首脳会談の話をしたが、根本的に、"機密保護に根ざす情報の守秘義務"と"民主主義を根幹から揺さぶる言論の自由"は別だと思う。
再度考察願いたい
"民主主義を根幹から揺さぶる言論の自由"についてだが、例えば、選挙によって専制主義を唱える代表者が多数選出された場合、選出された代表者は民主主義を守るために公約を反故にすべきだろうか?
それとも、公約を守り民主主義から専制政治に移行すべきだろうか。
平たく言えば、民主国に住む人民が民主ではなく専制を望んだ場合、民主主義はこの矛盾をどう整合させるのだろうか?
という命題がある。
民主というのは元々矛盾したものである。
民主主義を否定する言論を行っても罰することはできない。何を思うか、何を発言するかは基本的に自由なのである。
それを制限するのは、公序良俗に違反しなければ・・・と言うことだが、この公序良俗は、バランス・・・と言うものではなく、例えば差別的は発言はいけないとか、誹謗中傷、名誉毀損が認められる発言の自由は認めていないと言うだけで、反民主的だからというのは、公序良俗には違反していないのですよ。だから共産主義も日本にはある。
>言論と思想の自由という名のものではなんでも許されるという考えは危ない。
公序良俗に反しない限り許されている。もう一つ言えば公共の利益だな。
冒頭に戻るが、私は、反民主的な思想であるからと言う理由でその言論を統制することには激しい反対をする。なぜなら、統制する前に、納得するまで議論すべきだからである。どのような価値観があろうと、議論を行う事ができ、議論を継続させることが出きればよいのだから。
むしろ、偏見などに基づき、議論ができない環境があること、偏見によって発言を規制することの方が問題だろう。
と言うわけで、日本ではそもそも反民主的な思想である共産主義も内包しながら、国家運営をしていますがね。
あなたは、どうお考えだろうか?
私の考えは、ジョン・スチュワート・ミルに影響を受けた"自由"の考え方だから、遅ればせながら、その点を表明しておきたい
>法律などで禁じてるものでも世の中では絶えず起こってる。人間のあり方が確立してる社会だと、ニュースなどないだろ。なんでも予測がつき、なんでもその背景まで分かってしまうから。
ユートピアは存在しない。民主主義はそれに近づくためのひとつに道に過ぎない。
人間のあり方が確立しているとなぜニュースがないのか、何故予測がつくのか私にはわからないが、民主主義に関わらす、有史以来の営みはみな、よりよい生活を求めての歴史だった。
その歴史には様々な悲劇もあったが、よりよい社会を求める主体が、民衆一人一人の主体というレベルまですそ野が広かったことは評価したい。そういう意味で、あなたに同意する。
これは多分メディア規正法案に対する議論のことだよね。
あなたはバランスという言葉を使います。
私は、そのバランスと言う言葉は議論を経た協調という言葉に置き換えたい。
同意していただけるだろうか?
というのも、バランスと言う言葉は何かわかったようなわからないような、曖昧さを含んでいるからだ。
民主国家においては様々な考え方がある。中には民主主義を否定する考え方もあるだろう。例えば共産主義などが一例だろうか。
私が何故バランスという言葉を置き換えたかというと、思想が違っても、議論を重ね、認めるべきところは認め、批判すべきところは批判する議論を経て、妥協点を見つけ、異なった考え方の人間とも協調を保つ。それが大切だからだからだ。
『親日派のための弁明』という本に関してだけでなく、親日的な報道が規制されている韓国において、あなたの言う、「民主主義を根幹から揺さぶる言論の自由は考えるべきだと思う。」の意味の中に親日思想が含まれていないことを私が切望することと、そういう考えを持っている人間がいることは許容して欲しい。
次に
>民主主義そのものを認める上で話せば、民主主義を根幹から揺さぶる言論の自由は考えるべきだと思う。限度なしの言論の自由から何が得られると思う?
議論を整理したい。
あなたはこの後韓国と北朝鮮の首脳会談の話をしたが、根本的に、"機密保護に根ざす情報の守秘義務"と"民主主義を根幹から揺さぶる言論の自由"は別だと思う。
再度考察願いたい
"民主主義を根幹から揺さぶる言論の自由"についてだが、例えば、選挙によって専制主義を唱える代表者が多数選出された場合、選出された代表者は民主主義を守るために公約を反故にすべきだろうか?
それとも、公約を守り民主主義から専制政治に移行すべきだろうか。
平たく言えば、民主国に住む人民が民主ではなく専制を望んだ場合、民主主義はこの矛盾をどう整合させるのだろうか?
という命題がある。
民主というのは元々矛盾したものである。
民主主義を否定する言論を行っても罰することはできない。何を思うか、何を発言するかは基本的に自由なのである。
それを制限するのは、公序良俗に違反しなければ・・・と言うことだが、この公序良俗は、バランス・・・と言うものではなく、例えば差別的は発言はいけないとか、誹謗中傷、名誉毀損が認められる発言の自由は認めていないと言うだけで、反民主的だからというのは、公序良俗には違反していないのですよ。だから共産主義も日本にはある。
>言論と思想の自由という名のものではなんでも許されるという考えは危ない。
公序良俗に反しない限り許されている。もう一つ言えば公共の利益だな。
冒頭に戻るが、私は、反民主的な思想であるからと言う理由でその言論を統制することには激しい反対をする。なぜなら、統制する前に、納得するまで議論すべきだからである。どのような価値観があろうと、議論を行う事ができ、議論を継続させることが出きればよいのだから。
むしろ、偏見などに基づき、議論ができない環境があること、偏見によって発言を規制することの方が問題だろう。
と言うわけで、日本ではそもそも反民主的な思想である共産主義も内包しながら、国家運営をしていますがね。
あなたは、どうお考えだろうか?
私の考えは、ジョン・スチュワート・ミルに影響を受けた"自由"の考え方だから、遅ればせながら、その点を表明しておきたい
>法律などで禁じてるものでも世の中では絶えず起こってる。人間のあり方が確立してる社会だと、ニュースなどないだろ。なんでも予測がつき、なんでもその背景まで分かってしまうから。
ユートピアは存在しない。民主主義はそれに近づくためのひとつに道に過ぎない。
人間のあり方が確立しているとなぜニュースがないのか、何故予測がつくのか私にはわからないが、民主主義に関わらす、有史以来の営みはみな、よりよい生活を求めての歴史だった。
その歴史には様々な悲劇もあったが、よりよい社会を求める主体が、民衆一人一人の主体というレベルまですそ野が広かったことは評価したい。そういう意味で、あなたに同意する。
これは メッセージ 70825 (bakajaps さん)への返信です.
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