どうもありがとうございます。
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2001/12/05 04:45 投稿番号: [27650 / 203793]
なかなか含蓄のある文章ですね。
横文字の多いのはどうも
知識のあるかたは横文字のほうが意味を
伝えやすいのでしょうが
聞くほうが分からないとせっかくあなたが
伝えようとしている意見が伝わらないのではと思います。
英語はアメリカを連想します。
あの国は自由と民衆主義を守るという理由で多くの国に干渉し、紛争を起こしました。
アメリカは世界の平和よりも、自国の利益ならなんでもする国で
テロを非難しますが、戦後国鉄総裁の不審死などアメリカの仕業ではとも言われています。
原爆や本土空襲において軍事施設だけでなく最初から住民の大量殺害をめざしたもので、これほど非人道的な行為はないと
思います。
だからどうも英語は私使いたくないのです。
さて
>商業資本主義もなかった(萌芽はあったようですが)社会にいきなり産業資本主義を根付かせることは出来ません。
以前別トピでも述べましたが、朝鮮の伝統社会は近代資本主義との間に連続性を持っていません。
では維新後の日本はどうでしょう。
日本も全体としてみれば農業国で、家内工業的なものしかなかった。
それが明治政府の殖産工業政策で工業化が
計られたのでしょう。
朝鮮では軍需産業が中心で併合初期には
なんら産業を興そうともしていません。
日本資本は金融業から参入し、土地調査事業や買収により、収穫の多い土地を手に入れ大規模な農場を運営しています。
又朝鮮資本家が増大するのを防ぎ、日本資本が増大しました。
産業じたい朝鮮人が朝鮮人の資本で起こそうとしても出来なかったのです。
つまり伝統社会と近代資本主義との連絡性
うんぬんというより、朝鮮人の資本の拡大
を妨げたのです。
1910年の会社令により、会社の設立は総督府の許可制になったのです。
そして朝鮮総督府の判断で事業の停止、解散、会社の閉鎖当ができたのです。
当然日本企業も許可制になったのですが
日本企業には日本国内から積極的に企業誘地を行い古河鉱業、久原鉱業、王子製紙などが朝鮮へ進出している。
会社の数では
1911年
朝鮮人設立は27社
1917年には37社で10社増加
日本人設立は109社から177社と
約70社の増加
資本金でも朝鮮人は2倍に増えたに過ぎないが、日本資本は6倍に増えています。
これからみると日本人は優先的に許可を与え朝鮮人にはなかなか許可しなかったと
推測できます。
これは メッセージ 27574 (J_Fooker さん)への返信です.
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