「韓国は一個の哲学である」
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/02/10 04:41 投稿番号: [757 / 3669]
小倉紀蔵
講談社新書
韓国を理解するには儒教社会を理解しなければなりませんが、日本では欧米文化中心
になった結果利益中心の考えとなり、
儒教社会を単に形式主義としか捕らえられませんが、果たしてそうだろうかと疑問に
考えていたときこのような書物に出会いました。
韓国とは道徳性志向性国家である。
道徳性志向国家とは、人々のすべての言動を道徳に還元して評価する。
翻って日本人は没道徳的・現実主義的傾向が強いので、すべて道徳に還元しない。
道徳性志向性の時代も日本にあったが、弱まり、社会のすみずみまで浸透することは
なかった。
日本のドラマは感覚の予定調和的な倫理展開で成り立っており、韓国のドラマは理屈で固まられた感情の激突で成り立っている。
日本のドラマはだるく、退屈だ。そこには世界観の対立、主体間の闘争が皆無である。
韓国のドラマは、息つく暇もない言葉の戦い。それこそが、ドラマなのである。
日本での道徳イメ−ジはジジムサイ・保守であり
韓国での道徳イメ−ジは青春/革新なのである。
韓国の道徳は休体制への反抗と新体制樹立への原動力でもあるのだ。
これは最も先鋭的・革命的ば闘争の道具であり、ジジムサとは無縁の、青春の爆発力をもつ。
韓国は数百年の間朱子学の国であったが、日本はそうでなく、明治時代になって儒教的な国家の完成を目指したのにすぎない、という歴史の相違からくるのである。
朝鮮王朝による全社会の儒教化以後、韓国は継続して儒教国家であった。いや、より正確には、朱子学国家でありつづけたのである。
日本では形式的な側面のみが強調されるが、根本的な無知が横たわっていることは明らかである。
自己の心とそれに備わる道徳性のみを信じ、それを真っ直ぐに全宇宙にまで拡大するのが、儒家の根本的立場である。
そして儒家の最も嫌うのが、曲がったもの、曲がった心であるが、これは強烈な反抗精神を作り上げる要因でもある。
韓国人は曲がったものには真っ直ぐなもので立ち向かい、真っ直ぐなものを相手にしてはその真っ直ぐさを競う。
相手より自分が真っ直ぐであれば精神的な主人となり、逆であれば相手に同化しようとするのだ。
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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