教育の同化政策(1)
投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/02/04 17:42 投稿番号: [733 / 3669]
総督府が朝鮮教育令を発布してからは、すべての私立学校、普通学校、実業学校、高等学校、女子高等普通学校の教育は、完全に総督府の規定に従うこととなり、これ以外に他の教科書と過程を加えることはできなかった。
教科書は、総督府の編纂したものか検定教科書を使用し、教師も、日本語通達試験に合格したものか、または総督府の指定する学校を卒業した者に限った。
もし命令および規定に違反すれば、確実に学校の閉鎖が命ぜられた。全国の私立学校で、日本人教師は全教員の3文の2をしめた。
「程度が同じでないから」と称して、朝鮮人小学校で日本人小学校の使用する終身、歴史などの教科書を使用するのを許さなかった。
そしてただ単に低級な技術の習得のみ許可した。
わが国の歴史、国語、国文学に対し、きびしい禁圧処置を励行した。
某校の教師崔昌植は、秘密裏に国史を著わし、その本を蔵しひそかに広めていった。
しかし、まだいちども教材として使用したことはなかった。ところが日本人の探知するところとなり、勾引され、禁固一年の刑を受けた。
各国の革命史、独立史、偉人の伝記のようなものにいたっては、ことごとく絶対の発禁書であった。
中国人梁哲超の著作「飲氷室集」や小生の編著「陽明学説」もまた、禁書の禍をまぬがれなかった。
小生の友人崔南善の刊行した「少年」「青春」「赤いチョゴリ」などの雑誌は、みな学理の探求を主張し、ほとんど政治問題にふれることはなかったが、すべて発禁となった。
その他、巷間の歌謡、諸説なども、歴史的意味をもったものは確実に発禁処分を命ぜられた。
各学校に警察官を置き、教師の言動を監視し、いささかでも民族的色彩を持つもの、はまちがいなく、勾引し処罰された。
総督府のいわゆる教育令の適用は、朝鮮日本両民族に関しきびしい区別があった。
日本人の住居する村では、学齢児童が10名に達すればかならず学校組合が摂理うされ、総督府から年600元の補助金が支給された。その組合総数は348にものぼった。
そのため、補助金は年額20万8800元にもなった。
朝鮮人が日本人組合に加入するとか、別個に気味愛を設立することはゆるされなかった。
いわゆる修身科は、完全に日本語で教授した。日本人教師が科目を担当したことはいうまでもない。
そのため、朝鮮人自動は、その祖先の偉大な事業や嘉言、善行を教授されることは絶対になかった。
民族の系統についても事実をまげて教えられ、わが民族の始祖は日本の始祖の弟であるとか、天照大神は朝鮮人の始祖であるとかいわれた。
ああ、わが開国紀元は4250年になり、日本は2600年にすぎないのである。
どうしてこのような荒唐無稽な話が作られるのであろうか。
わが婦女子はみな冷笑し、一顧をも与えていない。どんあに言葉をつくしても、それがうそいつわりであるならば、わが民族の心をとらえることはできないのである。
また日本人は、自己の子弟を教育するときは、つねに武勇、愛国、奮闘、復讐などの精神を教訓とし、逆に朝鮮人子弟に対したは、ただ遊逸、服従、節制、分に安んじ、日本の天皇の恩徳に感謝することを教え、各教科書の巻頭にはすべて日本天皇の勅語を掲げている。
歴史教科書は、わが朝鮮民族古来の、偉大で光栄ある歴史事実をことごとく抹消し、ただ日本の天皇の慈愛、国威の発揚、人物文化の歴史を誇張し、日本崇拝思想を助長しようとした。
外国の暦新でも、アメリカの独立、イタリアの建国、ギリシアの独立、フランス革命史などは極端に粗略にし、数行だけですませ、軽挙妄動のいとことですましている。
18世紀の自由主義民権思想の伸張をもってヨ−ロッパの動揺としており、一言にして政治紛争と断定している。
教科書の描画は、学童が巡査にうやうやしく敬礼している図と、日本人教師に敬礼して訓話を受け手いる図とか、朝日にむかtって四方を排する図とか、児童が父母を離れて日本に行く分かれの場とか、日本の古い事績のヤマトタケルノミコトが大蛇を切る図とか、神武天皇の竜族討伐の図とか、巴堤便(「日本書記」によれば、欽明天皇時代、百済に使したときにトラを退治した)が吐露を切る図とか、ヤマトタケルノミコトが賊を討つ図とか、平城における日清戦争の図とか、台湾生藩とか、伊勢神宮、明治天皇の桃山稜、日本海の会戦、奉天入城の光景などである。
唱歌は、29曲の日本児童の歌をとり、朝鮮の歌はまったく許されなかった。
教科書は、総督府の編纂したものか検定教科書を使用し、教師も、日本語通達試験に合格したものか、または総督府の指定する学校を卒業した者に限った。
もし命令および規定に違反すれば、確実に学校の閉鎖が命ぜられた。全国の私立学校で、日本人教師は全教員の3文の2をしめた。
「程度が同じでないから」と称して、朝鮮人小学校で日本人小学校の使用する終身、歴史などの教科書を使用するのを許さなかった。
そしてただ単に低級な技術の習得のみ許可した。
わが国の歴史、国語、国文学に対し、きびしい禁圧処置を励行した。
某校の教師崔昌植は、秘密裏に国史を著わし、その本を蔵しひそかに広めていった。
しかし、まだいちども教材として使用したことはなかった。ところが日本人の探知するところとなり、勾引され、禁固一年の刑を受けた。
各国の革命史、独立史、偉人の伝記のようなものにいたっては、ことごとく絶対の発禁書であった。
中国人梁哲超の著作「飲氷室集」や小生の編著「陽明学説」もまた、禁書の禍をまぬがれなかった。
小生の友人崔南善の刊行した「少年」「青春」「赤いチョゴリ」などの雑誌は、みな学理の探求を主張し、ほとんど政治問題にふれることはなかったが、すべて発禁となった。
その他、巷間の歌謡、諸説なども、歴史的意味をもったものは確実に発禁処分を命ぜられた。
各学校に警察官を置き、教師の言動を監視し、いささかでも民族的色彩を持つもの、はまちがいなく、勾引し処罰された。
総督府のいわゆる教育令の適用は、朝鮮日本両民族に関しきびしい区別があった。
日本人の住居する村では、学齢児童が10名に達すればかならず学校組合が摂理うされ、総督府から年600元の補助金が支給された。その組合総数は348にものぼった。
そのため、補助金は年額20万8800元にもなった。
朝鮮人が日本人組合に加入するとか、別個に気味愛を設立することはゆるされなかった。
いわゆる修身科は、完全に日本語で教授した。日本人教師が科目を担当したことはいうまでもない。
そのため、朝鮮人自動は、その祖先の偉大な事業や嘉言、善行を教授されることは絶対になかった。
民族の系統についても事実をまげて教えられ、わが民族の始祖は日本の始祖の弟であるとか、天照大神は朝鮮人の始祖であるとかいわれた。
ああ、わが開国紀元は4250年になり、日本は2600年にすぎないのである。
どうしてこのような荒唐無稽な話が作られるのであろうか。
わが婦女子はみな冷笑し、一顧をも与えていない。どんあに言葉をつくしても、それがうそいつわりであるならば、わが民族の心をとらえることはできないのである。
また日本人は、自己の子弟を教育するときは、つねに武勇、愛国、奮闘、復讐などの精神を教訓とし、逆に朝鮮人子弟に対したは、ただ遊逸、服従、節制、分に安んじ、日本の天皇の恩徳に感謝することを教え、各教科書の巻頭にはすべて日本天皇の勅語を掲げている。
歴史教科書は、わが朝鮮民族古来の、偉大で光栄ある歴史事実をことごとく抹消し、ただ日本の天皇の慈愛、国威の発揚、人物文化の歴史を誇張し、日本崇拝思想を助長しようとした。
外国の暦新でも、アメリカの独立、イタリアの建国、ギリシアの独立、フランス革命史などは極端に粗略にし、数行だけですませ、軽挙妄動のいとことですましている。
18世紀の自由主義民権思想の伸張をもってヨ−ロッパの動揺としており、一言にして政治紛争と断定している。
教科書の描画は、学童が巡査にうやうやしく敬礼している図と、日本人教師に敬礼して訓話を受け手いる図とか、朝日にむかtって四方を排する図とか、児童が父母を離れて日本に行く分かれの場とか、日本の古い事績のヤマトタケルノミコトが大蛇を切る図とか、神武天皇の竜族討伐の図とか、巴堤便(「日本書記」によれば、欽明天皇時代、百済に使したときにトラを退治した)が吐露を切る図とか、ヤマトタケルノミコトが賊を討つ図とか、平城における日清戦争の図とか、台湾生藩とか、伊勢神宮、明治天皇の桃山稜、日本海の会戦、奉天入城の光景などである。
唱歌は、29曲の日本児童の歌をとり、朝鮮の歌はまったく許されなかった。
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