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植民地教育の記憶(2)

投稿者: Kmechan 投稿日時: 2002/02/04 13:21 投稿番号: [730 / 3669]
一九九七年に韓国第三の都市である大邱で行った調査では、七〇才すぎの老人が、歴代天皇の名前をすらすらと暗唱してみせた。またある人は、学校の宿題で「神棚づくり」をしてくるようにいわれ、つくったものが家にかざってあるかどうかを教師が家庭訪問の際に見てまわったという。

戦争末期に一九才で教員をしていたというKさんは、校長室に奉安してある教育勅語の謄本を、空襲などの際に別のところに避難させる役だった。ある時機銃掃射の音が近くで聞こえてくると恐くて小走りになり教育勅語謄本を落としてしまった。そうしたら日本人の校長に革靴で「不敬だ」「不敬だ」と何度も蹴られたと少し興奮しながら悔しそうに語った。

戦前日本が朝鮮でおこなった教育では、日本語を徹底的に教えることに重点がおかれた。また、天皇に対する忠誠心を養うことも日本以上に重視された。日本人にはされなかった「皇国臣民の誓い」がつくられ、「一.私どもは大日本帝国臣民であります。二.私どもは心をあわせて天皇陛下に忠義を尽くします三.私どもは忍苦鍛錬して立派な強い国民となります」と毎日の朝会で斉唱させられた。学校では母国語である朝鮮語は一九三八年からは教科としてほとんど教えられず、学校で生徒どうしが朝鮮語で話すことすら罰せられることが多かったようである。

こうした環境の中で一九四五年の植民地支配からの解放時には、元「国民学校」生徒達は朝鮮の文字「ハングル」を書けない者・読めない者が少なくなかった。初等教育の六年間は日本語習得のための教育だったといってもオーバーでない。日本語を習得するために費やされた子供達の多大のエネルギーを、私たちはいったいどのように考えたらよいのだろうか。「日本語」そのものは、その後日常生活で何の役にもたたず、その習得のための努力はただ徒労に終わったわけである。

一方、こうした植民地教育をみることで教育といもののある一面を明らかにできるのではないだろうかと私は考えている。個人の成長や自己完成に資するものとしての教育ではなく、国家や社会からの要請や規制としての教育の性格である。

  植民地教育の実態については、朝鮮の場合でもたかだか五〇年から九〇年ほど前の事柄であるにも関わらず、その具体的な内容、人々に与えた影響など、わからない点が多い。歴史的な事実は存在するのだが、それを把握し記述する人がいないと結局社会全体の「知」としては、「よくわからない」ということになってしまう。また、植民地教育をどう記述するのかという場合、当時の全体的状況がイメージできないと「断片的な知」に終わってしまう。植民地教育が総体的に解明される必要がある。

http://www.daito.ac.jp/kouhou/shinbun/shinbun-old/daito508/sono-furukawa.html
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