激動の東アジアを歩く
投稿者: imp_mania_jk 投稿日時: 2008/08/16 17:23 投稿番号: [3429 / 3669]
この時代は黄禍論ってのがあり、その急先鋒がドイツのヴィルヘルム二世。
んで、こいつは日清戦争後の三国干渉の張本人。
んで、こいつはこの本の著者、マックス・フォン・ブラントの君主でもある。
当然著者が日本及び日本人に対して良い感情を持っていないのだが、そこらへんの事情は、朝鮮の書評家は失念しておられるようだ。
気楽なもんだな、朝鮮の記者は。
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[人文社会]西洋外交官が本「朝鮮-清-日」…「激動の東アジアを歩く」
韓国文化翻訳院の企てた「彼らが見た私たち叢書(Korean Heritage Books)」シリーズの四番目本が出た。近代韓国の姿を現場で目撃した西欧人の記録を翻訳する意味のある作業だ。
100余年前の他者の目に封印された私たちの過去をまた広げて見る事は恐ろしい。旧韓国末「近代韓国」は私たちにはもう古い過去に過ぎ去ったが、西欧の立場ではまだ現在型かも知れないからだ。わずか20〜30年前まで韓国を「6・25戦争(訳注:朝鮮戦争のこと)」でも認知した西欧の視点はその3年間の悲劇的戦争だけで固まったイメージではないだろうか。
韓国はそれより一世紀前の旧韓国末から清と日本、西欧帝国主義列強の間に挟まった東アジアの政治的迷子だった。しょせん列強たちの戦場だった韓半島で、もう一度戦争が起きても彼らにはあまり驚きではない話だ。韓国が経済協力開発機構(OECD)会員国になったからといって、その古い歴史的記憶の残映が容易に消えさることはない。
この本の著者マックス・フォン・ブラント(1835〜1920)は19世紀東アジアで40年近く活躍したドイツの外交官だ。韓国の歴史には1882年、朝独修好通商条約を結んだ際のドイツ側全権大使として登場する(この条約は批准されず、翌年新たに結ばれた)。当時清駐在公史の身分だった彼が乗って来たドイツ軍艦は、仁川月尾島(インチョン・ウォルミド)に停泊した。
(中略)
韓国には三回ほど訪問しただけだが19世紀ドイツ外交官ブラントが眺めた朝鮮の姿は冷静で正確だ。合計15章で構成された本の中で、朝鮮問題を扱ったものは2章にすぎないが、東アジア情勢と歴史を説明するあちこちに格好の悪い弱小国、朝鮮の状況が言及されている。朝鮮に対する章で彼は壬辰の乱と明成皇后(閔妃)弑害事件を詳しく説明している。
著者がこの二つの事件を一緒にまとめた理由は、日本に対する朝鮮の憎悪心がどれほど根深い歴史的根源を持っているのかを見せるためだ。明成皇后弑害事件をおいて著者は「日本は表ではヨーロッパ文化を発展させると言いながらもアジアの他の民族たちにヨーロッパ文化の伝達者の役割をするにはどれほど不適合かを如実に見せてくれた」(122ページ)と評価する。
300年の間隔を置いて起きた壬辰の乱と日清戦争を比べる観点もおもしろい。「二つの場合、すべて決定権は陸地ではなく海にあった。もし1592年に朝鮮艦隊がそうだったように、1894年に清艦隊が日本軍艦隊との戦闘で勝利をおさめたら、日本が起こした挑発の結末は、今回も300年前のようだったろう」(100ページ)。
清で外交活動をしているためか、中国の立場から日本に不信感を示すという印象がにじみ出ている。「中国文明の支流に過ぎない日本の文明は精神的分野で固有の花を咲かせることができなかった」(79ページ)などの表現がそうだ。日清戦争後の日本の行動に対しては「戦勝国に隷属させられたどのような民族も、朝鮮人と朝鮮の政府ほど傲慢不遜な待遇を受けた事がなかった」(295ページ)と朝鮮に同情的視線を送る。
東アジアの歴史に対する深い理解を持った学者として、また19世紀末激動の韓・中・日情勢を経験して記録を残したジャーナリストとして、西欧帝国の利害関係に忠実な外交官として著者が残した100年前の近代韓国の記録。気楽ではないがこれも21世紀韓国が記憶しなければならない古い「他者の目」だ。
中央日報(韓国語)
ttp://news.joins.com/article/3262124.html?ctg=1703
んで、こいつは日清戦争後の三国干渉の張本人。
んで、こいつはこの本の著者、マックス・フォン・ブラントの君主でもある。
当然著者が日本及び日本人に対して良い感情を持っていないのだが、そこらへんの事情は、朝鮮の書評家は失念しておられるようだ。
気楽なもんだな、朝鮮の記者は。
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[人文社会]西洋外交官が本「朝鮮-清-日」…「激動の東アジアを歩く」
韓国文化翻訳院の企てた「彼らが見た私たち叢書(Korean Heritage Books)」シリーズの四番目本が出た。近代韓国の姿を現場で目撃した西欧人の記録を翻訳する意味のある作業だ。
100余年前の他者の目に封印された私たちの過去をまた広げて見る事は恐ろしい。旧韓国末「近代韓国」は私たちにはもう古い過去に過ぎ去ったが、西欧の立場ではまだ現在型かも知れないからだ。わずか20〜30年前まで韓国を「6・25戦争(訳注:朝鮮戦争のこと)」でも認知した西欧の視点はその3年間の悲劇的戦争だけで固まったイメージではないだろうか。
韓国はそれより一世紀前の旧韓国末から清と日本、西欧帝国主義列強の間に挟まった東アジアの政治的迷子だった。しょせん列強たちの戦場だった韓半島で、もう一度戦争が起きても彼らにはあまり驚きではない話だ。韓国が経済協力開発機構(OECD)会員国になったからといって、その古い歴史的記憶の残映が容易に消えさることはない。
この本の著者マックス・フォン・ブラント(1835〜1920)は19世紀東アジアで40年近く活躍したドイツの外交官だ。韓国の歴史には1882年、朝独修好通商条約を結んだ際のドイツ側全権大使として登場する(この条約は批准されず、翌年新たに結ばれた)。当時清駐在公史の身分だった彼が乗って来たドイツ軍艦は、仁川月尾島(インチョン・ウォルミド)に停泊した。
(中略)
韓国には三回ほど訪問しただけだが19世紀ドイツ外交官ブラントが眺めた朝鮮の姿は冷静で正確だ。合計15章で構成された本の中で、朝鮮問題を扱ったものは2章にすぎないが、東アジア情勢と歴史を説明するあちこちに格好の悪い弱小国、朝鮮の状況が言及されている。朝鮮に対する章で彼は壬辰の乱と明成皇后(閔妃)弑害事件を詳しく説明している。
著者がこの二つの事件を一緒にまとめた理由は、日本に対する朝鮮の憎悪心がどれほど根深い歴史的根源を持っているのかを見せるためだ。明成皇后弑害事件をおいて著者は「日本は表ではヨーロッパ文化を発展させると言いながらもアジアの他の民族たちにヨーロッパ文化の伝達者の役割をするにはどれほど不適合かを如実に見せてくれた」(122ページ)と評価する。
300年の間隔を置いて起きた壬辰の乱と日清戦争を比べる観点もおもしろい。「二つの場合、すべて決定権は陸地ではなく海にあった。もし1592年に朝鮮艦隊がそうだったように、1894年に清艦隊が日本軍艦隊との戦闘で勝利をおさめたら、日本が起こした挑発の結末は、今回も300年前のようだったろう」(100ページ)。
清で外交活動をしているためか、中国の立場から日本に不信感を示すという印象がにじみ出ている。「中国文明の支流に過ぎない日本の文明は精神的分野で固有の花を咲かせることができなかった」(79ページ)などの表現がそうだ。日清戦争後の日本の行動に対しては「戦勝国に隷属させられたどのような民族も、朝鮮人と朝鮮の政府ほど傲慢不遜な待遇を受けた事がなかった」(295ページ)と朝鮮に同情的視線を送る。
東アジアの歴史に対する深い理解を持った学者として、また19世紀末激動の韓・中・日情勢を経験して記録を残したジャーナリストとして、西欧帝国の利害関係に忠実な外交官として著者が残した100年前の近代韓国の記録。気楽ではないがこれも21世紀韓国が記憶しなければならない古い「他者の目」だ。
中央日報(韓国語)
ttp://news.joins.com/article/3262124.html?ctg=1703
これは メッセージ 1 (violla_21 さん)への返信です.
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